腕を斬られて退治された

宇治川

 この後、公卿の娘は、髪を5つに分けて5本の角にし、顔に朱をさし体に丹を塗って全身を赤くしました。鉄輪を逆さに頭に載せ、3本の脚には松明を燃やし、さらに両端を燃やした松明を口にくわえて鬼の姿になって、宇治川に37日間(21日という説もあります)浸り、貴船大明神の言ったとおり鬼になりました。これが「宇治の橋姫」だと書かれています。

 鬼になった「宇治の橋姫」は妬んでいた女はもちろん、その親族や縁者を次々と殺したため、京の都では夕方になると橋姫を恐れて外出しなくなりました。しかし、源頼光の四天王の1人、源綱が一条大宮に遣わされた際、「橋姫が危ないから」と名刀「鬚切(ひげきり)」を預かり出かけたところ、橋姫が襲ってきたので腕を斬り、退治したと物語は続いています。

 なんとも酷い話です。こんな逸話で「宇治の橋姫」は鬼にされてしまったのですから。

 しかしなぜ平家物語の異本がそんな話を載せたのでしょうか。もしかしたらこの時代に、平氏が鬼の仕業にしたくなるような出来事が宇治で起こったのかもしれません。だから、こんな逸話に例えたと考えれば辻褄があいます。

 そう思って調べると、案の定ありました。平安時代末期、なんとなく「宇治の橋姫」の話と重なる「宇治川の戦い」が起こっていたのです。しかも、源氏同士の戦いでした。

 「宇治川の戦い」は1184年(寿永3年)に起こった「治承・寿永の乱」のひとつです。源義仲(木曽義仲)を倒すために源義経らが宇治川で戦った合戦で、源氏の内乱そのものです。

 どんな戦いだったのか、簡単にまとめてみました。

 信濃源氏に源義仲という源頼朝と義経の従兄弟にあたる武将がいました。義仲は1180年(治承4年)、後白河法皇の第三皇子・以仁王による平氏打倒の令旨によって挙兵し、3年後の1183年(寿永2年)に入京しました。しかし様々なことで後白河法皇と対立し、後白河法皇は義仲を見放して源頼朝に接近します。

 「宇治川の戦い」はその翌年1184年(寿永3年)、源頼朝が義経たちに義仲討伐を命じたことから勃発し、義仲は義経らに敗れ、自害の場所を求めて粟津の松原に踏み込みましたが、“顔面を矢で射抜かれて”討ち死にしました(粟津の戦い)。