一休寺庭園。石川丈山が、共作で関わったと伝わる
一休寺庭園。石川丈山が、共作で関わったと伝わる

悠々自適な引退生活ではなかった?

 だとしたら丈山は悔しかったことでしょう。スパイが正体を見破られるなんて、もってのほかですから。その分、さらに「詩仙堂」が美しくなったのかもしれません。なぜなら丈山が学んだ儒学(論語)に次のような句があるのです。

子曰く、
仁に里おるを美と為す。
択びて仁に処らざれば、焉いづくんぞ知るを得ん、と。

(孔子が言った。
風俗のよい村に居るは嘉よみすべきことである。
自らの居るべきところを択ばねば、どうして達することができようか、と)

論語-里仁より抜粋

 丈山は徳川家の家臣の子として生まれ、徳川家に尽くすため武芸を習いました。戦国武将だった時も、徳川家康のために武功を焦って罰せられました。
 さらに林羅山から「上下天分の理」を学んでいたとしたら、「自分は生まれた時から、徳川家に尽くすと定められている」と信じたことでしょう。そして「大坂夏の陣」での失敗を挽回したくて、スパイを引き受けたのかもしれません。だからこそ「論語」を心の糧に「詩仙堂」を自らの居るべきところと信じ、どんどん美しくしたのではないでしょうか。なのに、そのことを後水尾上皇に見破られていたとしたら、内心穏やかであるはずありません。

 さらに、丈山は「詩仙堂」だけでなく東本願寺の庭園をつくり、一休寺の庭園にも関与したそうです。庭から獣を追い払う「ししおどし」も丈山が考案したものと伝わっています。もしかしたら、90歳まで悠々自適な引退生活を送ったのではなく、「六勿銘」の額を見ながら自分を律し、庭園をつくる新しい道を見出したのかもしれません。
 どちらにしても、人生のリセットは楽ではないということでしょう。

◆参考資料
詩仙堂 公式サイト
クロニック 戦国全史(講談社)
論語(岩波文庫) など
■変更履歴
記事掲載当初、本文中で「石山丈山」としていましたが、「石川丈山」に修正します。また、「徳川家忠」は「徳川秀忠」の間違えでした。本文は修正済みです [2017/07/24 11:30]