出世してよかったか?

 一方、藤原為時は、越前守に任じられて、おそらく嬉しかったのでしょう。娘の紫式部も連れて越前に赴任しています。しかし、その後、幸せだったかというと少し疑問が残ります。

 というのも藤原為時は越前守に赴任して2年後、いったん朝廷に戻って左少弁(太政官職)に任じられますがさらに2年後の1011年(寛弘8年)に再び、越前守となります。その時は息子の藤原惟規を連れて行っていますが惟規は越前で亡くなり、3年後の1014年(長和3年)には任期を1年残して帰京しています。そして翌年1015年(長和4年)に三井寺で出家しているのです。

御所近くにある紫式部邸宅跡「盧山寺」

 この経緯を見ると、果たして藤原為時の越前守赴任が彼にとって良かったのか、ちょっとわからなくなります。ただ娘の紫式部には、藤原為時の盛衰が大きく影響したと思われます。為時が10年も官職に就かなかったことが紫式部の婚期を遅らせたとも、越前での朱仁聡との漢詩のやりとりが紫式部の文才をさらに高めたとも言われているのです。

 ちなみに紫式部は父・為時と越前で2年暮らしたのち、父が朝廷に戻るときにも、一緒に京都に戻って親子ほども年の差がある山城守・藤原宣孝と結婚し、たった2年で死別しています。その後、藤原道長の長女である一条天皇の中宮(妻)・彰子の女房兼家庭教師として仕え、「源氏物語」を執筆しました。このとき、藤原道長が「源氏物語」の執筆を後押ししたことはよく知られています。