たばこを普及させた斬新な宣伝合戦

 この場所は前回も紹介した「京都博覧会」を間近に感じられる場所なのです。京都博覧会は、明治維新で東京に首都の座を奪われた京都が、まちの活性化のため、世界から外国人観光客を呼び込もうと約半世紀もの間、ほぼ毎年開催した博覧会のこと。この博覧会をキッカケに、京都では外国人観光客をもてなす食文化や観光産業が発展し、今日の「世界一の観光都市」の座の礎になりました。

 村井兄弟商会の社屋があった場所からは、徒歩10分ほどの距離にメイン会場のひとつ「建仁寺」もあります。世界最先端のモノはもちろん、デザインのセンスやPR手法なども、身近に習得できたのでしょう。そのひとつが「たばこカード」とオシャレなデザインだったのかもしれません。

明治時代、京都博覧会のメイン会場のひとつになった建仁寺
明治時代、京都博覧会のメイン会場のひとつになった建仁寺

 また、このように斬新なPRを行った背景には、東京の大手たばこ商「岩谷商会」と争うように繰り広げられた熾烈な宣伝合戦がありました。その一端をご紹介しましょう。

 まずは、東京の「岩谷商会」。こちらは商標「天狗たばこ」のPRとイメージを統一するCI戦略が見事で、イメージカラーを赤に統一していたそうです。「たばこと塩の博物館」の公式サイトには次のように紹介されています。

 「天狗たばこ」で知られる岩谷松平(いわや まつへい)の岩谷商会は、国産の葉たばこを原料とした口付たばこを主力商品としていました。建物・馬車、服まで赤く装い、自ら、「広告の親玉」、「安売りの隊長」、「東洋煙草大王」と称し、「勿驚(おどろくなかれ)税金たったの五十万圓」「慈善職工三萬人」(共に数字は年々増加させた)など、いささか誇大広告的なキャッチフレーズを看板やポスターに多用していました。

(たばこと塩の博物館 公式サイトより抜粋)

 真っ赤なイメージカラーでインパクトの強い広告を打つ。今でも注目を集めますが、明治時代には、ことさら印象的だったことでしょう。

 一方、京都の「村井兄弟商会」は、以下のように紹介されています。

 村井兄弟商会は、輸入葉たばこを原料に欧米の最新技術を導入して製造した両切たばこが主力商品でした。「サンライス」「ヒーロー」など横文字の名をつけ、包装を洋風化し、人気を得ていました。印刷にも技術導入が行われ、当時としては、とても斬新(ざんしん)なポスターやたばこカード(おまけとしてパッケージに入れた)を媒体として宣伝活動を行っていました。

(たばこと塩の博物館 ウェブサイトより抜粋)

 こちらは明治時代の人々が憧れた「舶来もの」と、それに準じるオシャレなイメージで勝負していたようです。人気を集めた「たばこカード」はそのひとつ。横文字の商品名とパッケージ、そして「たばこカード」のハイカラなデザインが、文明開化の明治時代の人々の心を掴んだのは当然といえるでしょう。

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