今も受け継がれる“家臣を思う心”

 そんな光秀の“家臣を思う心”は江戸時代にもこの地に受け継がれていたのでしょう。だからこそ亀岡藩では介護休暇を認めていたのかもしれません。

 そんな光秀の精神は今の亀岡市にも窺い知ることができます。亀岡市の公式サイトに充実した福祉の内容がズラリと紹介されているのです。市内には介護タクシーが走り、複数の介護施設が整備され、育児のための「イクボス」教育も活発に行われているようで、地元新聞の記事にも取り上げられています。

 明智光秀といえば主君の織田信長を「本能寺の変」で倒した謀叛人というイメージがありますが反面、それが成し遂げられたのは、光秀の家臣たちが「敵は本能寺にあり」の言葉を聞いても疑わず、光秀に従ったからとも言えます。

 家臣たちだって戦国の世を生きる武士です。特に側近の家臣が光秀の行動に「何か変だな」と気づかないなんて、ちょっと考えられません。「敵は本能寺にあり」と聞いて「なぜ、本能寺に向かうのか」と疑問を持った家臣もいたのではないでしょうか。そして「強大な力を持つ信長を討つなんて、とんでもない。もう光秀には従えない」と思って離反しても不思議ではありません。そうなっていたら「本能寺の変」は起こらなかったでしょう。

 しかし家臣たちは何も言わず光秀に従ったのです。「本能寺の変」は家臣の忠義があったからこそ、成し得たともいえるのです。

 最後に、今に語り継がれる明智光秀の名言をひとつご紹介しましょう。

 「あの人物は俺の重臣だが、昔父の領内で農夫をしていた。それを父が登用してまず足軽にした。おそらく、あの時の恩を忘れず、農民だった初心で父の霊を弔っているのだ。武士はすべてああありたい。笑うお前達は馬鹿だ。」

 これからの超高齢化社会にも企業の経営者が光秀のように考えられたら、介護休暇制度にとどまらず、働きやすい職場が整っていくのかもしれません。大切なのは会社が社員を大切に思う心だと、光秀は教えてくれているようです。

◆参考資料

 京都府総合資料だより 2005年10月1日第145号
 京都府亀岡市「一人でも多くの人に知ってもらいたい明智光秀」パンフレット
 京都府亀岡市公式サイト など