亀山城址に残る光秀の面影

明智光秀公築城亀山城址 石碑
明智光秀公築城亀山城址 石碑

 明智光秀が亀山城を築城したのは440年前の1577年(天正5年)。丹波攻略の居城とするためでした。光秀はその後、丹波を平定したものの1582年(天正10年)に「本能寺の変」を起こし、「山崎の合戦」で秀吉に敗れたため、亀山城はその後、豊臣家の支配下に置かれ、江戸時代には徳川家の支配下で「亀岡藩」の城となりました。

 しかし明治維新後の1873年(明治6年)、明治政府の廃城令により廃城が決まり、4年後の1877年(明治10年)に天守閣が取り壊されています。今は宗教法人の管理下に置かれていますが、城址は公開されていて、その中に明智光秀が築いた城の石組みや、かつての亀山城を偲ばせる水郷の風景が残されていました。

明智光秀の居城時の名残りを残す石垣
明智光秀の居城時の名残りを残す石垣
大名たちが残した天下普請の刻印
大名たちが残した天下普請の刻印
亀山城の瓦
亀山城の瓦
かつての亀山城石垣を今に残す道
かつての亀山城石垣を今に残す道

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