この申請を受けた亀岡藩は協議を行い、介護の対象者が親でなく祖母であることが問題になったものの、数年前に江戸藩邸に詰めていた大久保という藩士が、祖母が大病のため、亀岡に帰ったという先例があることなどから、認められることになったそうです。
なお、介護休暇中の仕事は他の藩士により代行され、伊丹孫兵衛は5日間、介護に専念した結果、祖母は快方に向かったため無事に現場復帰したのだそうです。
つまり亀岡藩は少なくとも2度は介護休暇(休業)を認めていたということです。江戸時代には「士農工商」の身分制度のもと、藩士(武士)は藩の仕事を優先すると思っていたのですが、そうでもないようです。もしかしたら「亀岡藩」が特別だったのでしょうか。
さっそく私は、亀岡藩があった亀山城址に行ってみることにしました。亀山城といえば・・・そう。あの明智光秀が築城した城です。
一人でも多くの人に知ってもらいたい明智光秀!
JR京都駅から嵯峨線に乗り換えて約20分。川下りで知られる保津峡を越えると数分でJR亀岡駅に到着します。目指す「亀山城址」は駅から徒歩10分ほどのはずですが、駅から城址の姿は見えません。私は不安になって駅の観光案内所に訊くことにしました。
すると、優しそうな女性が笑顔で駅正面の道を指さし「ここから見える道をまっすぐ歩いて10分ですよ」と言いながら「どうぞ」とパンフレットを渡してくれました。

私はそのパンフレットを見て驚きました。表紙に大きく「一人でも多くの人に知ってもらいたい明智光秀 京都府亀岡市」と書かれていたのです。市の観光案内所で渡されるパンフレットといえば、楽しそうなイラストや風景写真とともに、「魅力いっぱい○○市」などと書かれているのが一般的です。しかしこのパンフレットはまるで趣が異なっています。しかも「戦国の世を波乱万丈に生きた明智光秀をNHK大河ドラマに!署名活動にご協力をお願いします」と書かれたリーフレットが添えられていました。
どうやら、この町にとって明智光秀は特別な存在のようです。
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