六角堂頂法寺と華道家元池坊の深すぎる歴史

 「六角堂 頂法寺」は京都の中心にあります。地下鉄烏丸線「四条駅」から徒歩10分ほどのビルが立ち並ぶ街中に鎮座していて、境内には京都の中心を示す「へそ石」があります。

京都の中心を示す「へそ石」

 実はこの寺院、1430年前の587年(用明天皇2年)に聖徳太子が建立したと伝わる古刹中の古刹。聖徳太子がこの地の池で身を清めようと念持仏を木にかけたら動かなくなり、「この地にとどまって人々を救いたい」と太子に告げたため、六角形の御堂を建てて念持仏を安置したと伝えられています。

聖徳太子が建立した「六角堂 頂法寺」

 こうして建立された六角堂頂法寺の住職になったのは小野妹子を始祖とする僧侶で、聖徳太子が身を清めた池のほとりの庵に住んでいたので「池坊」と呼ばれるようになったそうです。

 その後、六角堂頂法寺の住職「池坊」は毎日、仏前に花を供えるとき、美しく見えるよう工夫を加えるようになり、室町時代に「池坊がいける花は素晴らしい」と評判になったそうです。このことは1462年(寛正3年)、東福寺の禅僧の日記『碧山日録』に「池坊専慶(当時の六角堂住職)が花を挿し、京都の人々の間で評判になった」という意味の記述があることで裏付けられており、この記述が、華道家元池坊が「花を生けた」という最古の記録とされています。

 そうです。華道家元池坊は、聖徳太子が建立した六角堂頂法寺から生まれたすべての華道の源であり、家元の始祖は小野妹子なのです。この歴史は脈々と現代に受け継がれていて、今も池坊の家元は六角堂の住職を務めておられます。なんて深い歴史なのでしょうか。

 PRを生業としている私には、池坊のこの歴史は衝撃的でした。これほど深い歴史ならいくらでも派手にPRできそうなのに、積極的に表に出そうとされないからです。また、池坊の花を生けた記録は室町時代の「碧山日録」の記述が最古とされていますが、「碧山日録」は東福寺の禅僧の日記ですから、たまたま「今日見た池坊さんの花がすごかった」と書いたようなもの。もっと以前から花を生けていたことは明らかなのに、そのことには決して触れようとされません。なんて奥ゆかしいのでしょう。

 ただ、そんな奥ゆかしい環境だからこそ、今回の秘話は約400年もの長い間、世に出なかったのだと思われます。それにこの機を逃したら、私が生きている間にこの秘話の真実を見極めることはできないでしょう。さっそく探りを入れてみました。