伊達政宗の屋敷跡もその中にあり、現在は「海宝寺」という寺院になっています。寺院の境内には、政宗の手植えと伝えられる木斛があり、本堂内には位牌が収められています。なんと住所も「伏見区桃山町政宗」でした。

伊達正宗の屋敷跡に建つ海宝寺へ
海宝寺本堂
正宗手植えとされる木斛
今も住所に「正宗」の文字が

 この場所に向かって、政宗は黒に金と赤を配した戦装束に統一した軍を率いて歩いたことになります。東北から京都市の南部に位置する伏見へ来たわけですから、途中、京の中心部である御所のあたりを通ったことは間違いありません。その姿を見た京都中心部の人々が、平安時代から最新ファッションをリードしてきた最先端の感覚で「いやぁ、おしゃれやなぁ」と感嘆し「伊達者」という言葉が生まれたということになります。当時、黒を使うことが珍しかったからこそ、黒をベースに赤や金があしらわれたデザインが斬新に見えたのではないでしょうか。

 今なら、銀座や表参道を斬新なファッションでパレードするようなものと考えれば腑に落ちます。「えっ?そんな恰好で大丈夫?」と心配しそうなファッションでも、表参道で「素晴らしい」と評されれば最新ファッションになるのと同じことです。縁起が悪いとされた黒がオシャレになったのは、そんな京都ファッション感覚があったからこそ、だったと考えても不思議ではありません。

 ちなみに伊達政宗の有名な三日月の兜も、このときに誕生したとする説があります。三日月をかたどったのは、戦国時代に星や月を神格化する「妙見信仰」があったため、月をモチーフにしたのではないかと言われています。

 黒をベースに月が浮かぶ・・・李克用のごとく最強で、月が武運を授けてくれる。政宗はそんな期待をファッションに託したのかもしれません。

 この春、私たちにも多くの変化が訪れるでしょう。なかには、政宗がいきなり「海外で戦え」といわれたような無茶ぶりもあるかもしれません。そんなときは、政宗のように不安な心を支えてくれるお守りファッションに挑戦してみるのもいいかもしれません。

まず、自前の事をする

 最後に伊達政宗の名言をひとつご紹介しましょう。

 わからぬ将来のことを心配しているよりも、まず自前の事をすることだ。
 時を移さず行うのが、勇将の本望である。

 「文禄の役」が終わり、秀吉が亡くなった後、政宗は徳川家康に忠誠を誓って仙台藩の初代藩主となります。秀吉の家臣としては肩身が狭くても、家康には重く用いられたそうです。「わからぬ将来のことを心配するよりも、まず自前の事をする」の言葉どおり、政宗は秀吉に従属したときの立場に腐らず、目の前にあることに全力を尽くしたことで、江戸時代には徳川幕府から「松平」の名字を与えられるほど重用され、全国第3位の大大名になりました。その遺志は仙台のまちに受け継がれています。

 今日、東日本大震災から6年。伊達政宗の偉業に敬意を表し、一日も早い復興を遂げ、将来に向けて発展することを祈ります。

◆参考資料
 「伊達政宗の研究」(小林清治著/吉川弘文館)
 「史伝 伊達政宗」(小和田哲男著/学研M文庫)
 京都市観光資料および公式サイト など