秀吉の無茶ぶりを乗り越えるための“お守り”だった?

 どうやら政宗が黒で軍を統一したのは、この李克用の軍に倣っていたと考えて間違いなさそうです。黒を基調に赤や金をポイント的にあしらったのは、すべて黒ずくめにすると、それこそ秀吉に「縁起が悪い」と嫌われると思ったからではないでしょうか。

 そもそも戦国時代に外国へ戦いに行くこと自体、ものすごいストレスだったと思います。今のようにテレビもインターネットもなく、海外がどんな環境でどんな人が住んでいるのか、行ってみないとわからないのですから。そんな状態でいきなり「朝鮮へ行け」と命じられたのです。秀吉の武将たちにとって、無茶ぶりすぎる命令だったのではないでしょうか。

 最も遅く家臣になった政宗は、もっと不安だったことでしょう。他の武将よりも立場が弱く、辛い仕事を押し付けられても断れない立場だったからです。そんな政宗の心を支えたのが中国で猛威を振るった李克用だったのかもしれません。李克用と同じように軍を黒に統一することで、まだ見たこともない外国の軍が「鴉軍来たる」と恐れおののき自ら崩れることを期待したのではないでしょうか? 要するに、黒ずくめの軍は、政宗にとって、“お守り”だったことになります。

黒の軍がオシャレになったワケ

 しかしそんな政宗の黒い軍が、小粋でおしゃれな「伊達者」になったのはなぜでしょうか。

 その謎を解くために政宗が黒い軍隊とともに向かった京都市伏見区の政宗の伏見上屋敷跡へ行ってみました。京阪電鉄「墨染駅」から歩くこと約20分。ここは、晩年の秀吉の居城・伏見城の周囲に建てられた武家屋敷町だったところです。その風情は今も残っており、あたり一帯、落ち着いた住宅街が広がっていました。大半が歴史ある裕福な家といった感じです。

秀吉が晩年を過ごした「幻の伏見城」。現在の城は「伏見桃山城」として昭和39年に再建したもの(写真:殿村美樹、以下同)
伏見桃山城の周囲は草深くひっそり
伏見桃山城の城門。豊臣家の紋があしらわれている
秀吉お気に入りと伝えられる水桶