なぜ、縁起の悪い「黒」を軍にまとわせたのか

 そんな政宗がなぜ、「文禄の役」の出陣にあたって、軍をまるごと黒の衣装で統一したのでしょうか。黒で秀吉の機嫌がとれるとはとても思えません。千利休が“縁起の悪い”黒の茶碗で茶を出したことに激怒し、それをきっかけに切腹を命じたという有名なエピソードもあります。そもそも戦国時代には、黒は縁起の悪い色とされていたのです。

 言い換えれば、政宗は縁起の悪い色を軍全体にまとわせて従軍したことになるのです。朝鮮に出兵する秀吉への抗議だったのでしょうか? だとすれば、その後のエピソードが理解できなくなります。史料にはむしろ活躍したと記されているのです。1593年、朝鮮半島に渡った政宗は、日本軍の築城に際し、浅野長政の手配ミスで兵糧が届かなかったにも関わらず、現地で調達するなどして積極的に活躍したと伝えられています。政宗は精力的に、現地で戦っていたのです。ますます、なぜ黒だったのか、わからなくなりました。

 そこで、政宗の履歴を改めて確認してみました。すると政宗が、中国の唐末期の片目の武将「李克用(りこくよう)」を目標としていたことが浮かび上がってきました。この李克用は「独眼龍」と呼ばれた片目の猛将で、政宗が「独眼龍」と呼ばれたのも、この人物に由来しています。

 政宗が幼少時に天然痘を患って右目を失明したため眼帯をしていたことは有名ですが、一部史料には、子どもの頃には、片目であることがコンプレックスで引きこもり状態だったこともあったと記されています。

 そんなとき、政宗の学師だった虎哉宗乙(こさいそういつ)禅師が、唐の片目の猛将・李克用のことを教え、「唐には片目でも強く賢い武将がいる。貴方もそんな武将にならなければいけない」と諭したのだそうです。以来、政宗は李克用を目標にしてきました。

 その李克用の軍が黒で統一されており、鴉軍(あぐん)といわれ周りからその勇猛さを恐れられていました。敵は「鴉軍来たる」と聞いただけで崩れてしまうほど強かったと伝えられています。