今回は伊達政宗に学びます

春こそ、オシャレな伊達者になろう!

 3月も中盤に差し掛かりセレモニーに出席する機会が増えてきました。人事異動に伴う歓送迎会をはじめ、子供の卒業式や入学式、新プロジェクトの杮落としパーティといった類も増える季節です。ここはオシャレに決めて、新しく出会う人々に自己PRしたいものです。

 そこで今回は戦国時代の粋な武将・伊達政宗のオシャレ術に迫ってみたいと思います。オシャレの代名詞「伊達者」の語源になっている武将ですから、私たちにオシャレの極意を教えてくれるかもしれません。

 そもそも「伊達者」という言葉は、豊臣秀吉が「文禄の役(中国=当時は「明」制覇を目指して朝鮮へ出兵した戦)」を行った1593年(文禄2年)、伊達政宗が従軍のために上洛した際、秀吉に気に入られようと数千人もの軍隊を“派手で豪華な戦装束”に統一したことから生まれたと言われています。京都の人々がまちを歩く伊達軍の装束を見て「いやぁ、素敵やわぁ」と感嘆したことから、粋でおシャレな人のことを「伊達者」と呼ぶようになったそうです。

 しかし、史料を読み解くと、この時の装束は黒を基調に赤や金をポイント的にあしらったデザインだったようです。宮城県にある「みちのく伊達政宗歴史館」にも、この時の軍隊が人形で展示されていますが、装束は黒で統一されており、赤や金が槍や鎧に配されています。

 確かにオシャレですが、秀吉にアピールする目的であれば、このセンスが秀吉に通じたのかちょっと疑問です。秀吉といえば「金の茶室」をつくり、政務の拠点とした聚楽第も金で彩ったほど、ピカピカ光る金が大好きな派手好きです。秀吉に気に入れられたいなら、黒を基調に粋に決めるよりも金色に極彩色をあしらったデザインの方が良いように思います。伊達政宗はなぜ軍を黒の戦装束に統一したのでしょうか。

 さっそく独自の視点で、このときの伊達政宗の心理に迫ってみたいと思います。