しかし大石内蔵助も赤穂浪士たちも実在の人物です。そう考えると、少し疑問が生じます。

 まず、筆頭家老の大石内蔵助一人の物語であれば「さもありなん」と思いますが、討ち入りを行ったのは赤穂浪士47人。ということは赤穂藩に47人も非現実的なヒーローがいた、ということになります。命がギリギリまで追いつめられる戦時中ならまだしも、時代は好景気で、華やかな文化も発達した元禄時代。いくら大石が求心力のあるリーダーだったとしても、そんなこと現実にあり得るでしょうか?

 ちなみに史料には、大石内蔵助のことを「赤穂藩では昼行燈と呼ばれていた」とか「京都隠遁中は放蕩三昧だった」という記録もあります。もしかしたら、大石も一般的な赤穂藩のサラリーマンだったかもしれません。

 そこで私はあえて、「大石内蔵助は普通のサラリーマンだった」と仮定して「赤穂事件」を読み解いてみました。すると「忠臣蔵」にもう一つのストーリーが見えてきたのです。

なぜ浅野内匠頭は「江戸城の松の大廊下」を選んだか

 そもそもなぜ浅野内匠頭は、わざわざ江戸城の松の大廊下で吉良上野介に斬りかかったのでしょうか。暗殺するなら、別の場所の方が成功する確率は高いはずです。

 江戸城の松の大廊下は、本丸御殿の大広間から将軍との対面所である白書院に至る威厳ある廊下と記録されています。今に例えるなら、首相官邸で新内閣の大臣たちが記念撮影を行う赤じゅうたんの階段のような場所でしょうか? 江戸城内で非常に目立つ場所だったことは間違いありません。

 そんな場所で、赤穂藩主が旗本に斬りつけたのです。首相官邸で地方都市の市長が閣僚に殴りかかるようなものです。そんなとんでもないことを、いくら感情的になったとしても、藩主がやるでしょうか。他にいくらでも手はあったのではないかと思ってしまいます。

 ただ、それが「幕府の命令」だったら理解できます。幕府の幹部から「吉良を懲らしめてくれたら赤穂藩を取り立ててやる」などと囁かれていたとしたら、できるだけ目立つところで「私がやりました」と披露することが必要になります。江戸城の松の大廊下は絶好の場所だったことでしょう。

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