月照の「辞世の句」は西郷へのメッセージ

 しかしその後、幕府の大老に就任した井伊直弼が次期将軍を徳川家茂と決定し、それに反発する勢力(一橋慶喜を推す勢力)の弾圧を始めます。いわゆる「安政の大獄」です。斉彬を支持していた月照も次第に追い詰められ、西郷隆盛は薩摩にかくまうべく都落ちを計画しました。月照にその話をしたのも清閑寺だったと伝えられています。

 そして西郷は月照を迎えるために薩摩へ先に帰り、藩の幹部に協力を願い出ます。が、藩政を握った島津斉興は取り合わず、冷たくあしらわれてしまいます。そんな中、京都から月照が薩摩へやってきますが、西郷はどうしようもありませんでした。かといって幕府に捕えられるであろう京都に帰すこともできません。

 情の深い西郷は絶望して、月照とともに自殺する道を選びました。1858年(安政5年)11月、寒い海に二人で身を投じたのです。

 このエピソードは何度も映画やドラマで描かれており、西郷隆盛の情に厚い人柄を物語る逸話として有名です。また、そんな西郷の人柄が、その後多くの人を惹きつけ、明治維新の大きなパワーになったことは言うまでもありません。

 ただ、月照が海に入る直前に詠んだ辞世の句には、さらに深い意味が感じられるのです。

大君のためには何か惜しからむ 薩摩の迫門に身は沈むとも

 これは「自分の身は沈んでも、大君のためには何も惜しくない」と解釈され、通説では「大君」は斉彬公を指すと言われていますが、あえてこれを西郷隆盛のことと読み解けばどうでしょう。つまり、「西郷隆盛のためなら、自分の身を沈めても、何も惜しくない」と解釈するのです。すると、入水自殺からその後のプロセスがすべて腑に落ちるのです。