当時の日本の首相であった中曽根康弘氏もそれに乗っかり、小さな政府、グローバル化、規制緩和などを盛り込んだ経済政策を推進した。「新自由主義」と呼ばれる政策である。

 時を同じくして、85年にソ連ではゴルバチョフ氏が最高指導者となり、「ペレストロイカ(再構築)」を提唱した。それまで堅持していた一党独裁体制を止めるということである。これがソ連崩壊へと繋がってゆく。

 ゴルバチョフの登場によって米国は、「どうやらソ連は我々の敵ではない。敵は、日本ではないか」と考え始めた。当時の日本は、米国に電化製品や自動車を中心とする多くの製品を輸出していて、米国の対日貿易赤字はどんどん膨らんでいった。いわゆる、日米貿易摩擦が深刻化していた。

 米国は、日本に自由化を強く要求した。さらには、対日貿易赤字が膨らむ原因は日本円が安すぎるからだと主張し、1985年のプラザ合意で、先進国は協力して為替レートをドル安に進めることに合意した。

 当時の大蔵大臣は竹下登氏である。この時、日本円は1ドル=240円台で推移していたが、プラザ合意の後はあっという間に150円台まで高騰した。

 さらに米国は、日本の輸出を縮小させるために、「無理矢理でも内需を拡大しろ」と要求してきた。これにより、日本の産業構造や政策の在り方を示した「前川リポート」が公表される。内需の拡大や金融の自由化、国際通貨価値の安定などが盛り込まれた。

 こうして強力な内需拡大策が進められ、80年代後半にかけて空前のバブルが巻き起こったのである。

 同時に中曽根首相が進めたのは、自由化である。国鉄の民営化、電電公社の民営化、専売公社の民営化も行われた。

 これが、グローバリズムの始まりである。ヒト・モノ・カネが国境を越えて、世界市場で活動する巨大な潮流である。平成という時代は、まさにグローバリズムから始まったと言えるだろう。

欧米ではグローバリズムの歪みが無視できなくなった

 ところが、グローバリズムの歪みは徐々に無視できなくなってきた。象徴する出来事が、16年11月の米大統領選挙でドナルド・トランプ氏が勝利したこと。あるいは17年6月の英国EU離脱(ブレグジット)である。

 詳しくは、本コラム「米国の問題は製造業と金融業の内部対立だ 」でも述べたが、グローバル化が進んだことで、米国企業は生産拠点をメキシコやアジアの国々へ次々と移していった。その結果、デトロイトをはじめとする旧工業地帯では失業者があふれかえってしまった。特に白人労働者の失業が急増し、「米国第一主義」を唱えるトランプ氏の支持層になったのである。

 米国ではグローバリズムによって、ウォールストリートを中心に富裕層が増えた。こうして貧富の格差が拡大したことも、トランプ氏の支持を強めた一因となった。国内の労働者の間では不満が高まり、「反エスタブリッシュメント」の勢いが増していった。こうして、米国は「分断」されてしまったのである。

 EU各国でも、同様の流れがあった。かつて欧州は、過去二度の大戦で全土が戦場になったことで、二度と同じ過ちは繰り返さないという「不戦の誓い」を立てた。こうして欧州を一つにしようとしてEUが誕生した。

 これは理想の形だった。EU圏内の他国間の移動は自由、貿易も関税なしで自由にできる。通貨も統一された。