民主主義とは、自分と異なる意見の存在を認めることだ

 今回、反トランプ一斉報道をした米国と、先に述べたような日本の状況と、何が大きく違うのか。

 これまで安倍首相は国民の反対を押し切り、特定秘密保護法や安全保障関連法などを成立させてきた。野党が弱いのはもちろんのことだが、マスコミも弱いことを忘れてはならない。

 今、どの新聞社が世論調査を行っても、「支持」よりも「不支持」の方が高い。しかし僕がみたところ、マスメディアには安倍支持のほうが多い。米国とは状況が全く異なるのである。

 僕は権力やマスメディアに対して、強い不信感を抱いている。きっかけは、敗戦の年。僕が小学校5年生の時のことだ。1学期まで、学校の先生たちは「この戦争は世界の侵略国である米国や英国を打ち破り、彼らの植民地にされているアジアの国々を独立・解放させるための正義の戦争だ」と僕らに話していた。「だから、君らも早く大人になって、戦争に参加し、名誉の戦死をしろ」と言っていたのである。僕はそれを信じていた。

 ところが夏休みに敗戦を迎え、2学期になるころには、占領軍が日本にやって来た。すると、同じ先生たちの話す内容が180度変わってしまったのである。「あの戦争は、やってはならない戦争だった。間違いだった。君たちは平和を目指さなくてはならない」と。新聞やラジオも、学校の先生たちと同じだった。

 1学期までは「この戦争は正しい」と報じていたマスコミは、2学期になると「間違いだった」と逆の主張を始めた。戦時中は英雄だった人物が戦争犯罪人として逮捕されると、「当然である」と言った。

 僕は、大人たち、特に偉い大人たちがもっともらしい口調で言う話は信用できない。国や権力は、国民をだますものだ」と強く思った。僕は、自分で確かめたことを信じようと思った。これが、僕のジャーナリストとしての原点である。言論の自由は絶対に守らなければならない。

 民主主義とは、自分と異なる意見の存在を認めることである。その代わり、誰とでも徹底的に討論することが重要である。しかし日本には、そういった土壌が失われつつあるのではないか、と危惧している。