2月13日、金正恩・朝鮮労働党委員長の異母兄である金正男氏が、マレーシアのクアラルンプール国際空港で暗殺された。これはおそらく、金正恩氏の指令によるものだろう。
なぜ、金正男氏が殺されたのか。一般的には、こう言われている。金正恩氏が何らかの原因で最高指導者の地位を維持できなくなった場合、金正男氏が継承する可能性がある。金正恩氏は、これについて神経質になっているから金正男氏を疎ましく思っていた、というものだ。
ここで1つの謎がある。なぜ、金正男氏はマレーシアに行ったのか。マレーシアという国は非常に複雑な場所だ。というのも、韓国や北朝鮮、中国のスパイが自由に出入りでき、極めて危ない場所だからだ。金正男氏を庇護していた中国が、なぜマレーシア入国を認めたのか。あるいは、中国に金正男氏を置いておけない事情が起きたのか。そこは謎に包まれている。
金正男氏の暗殺を防げなかったことは、中国にとっては手痛い失敗だっただろう。なぜ中国は金正男氏をそこまで守ろうとしていたのか。それは、中国にとって北朝鮮は「なくてはならない存在」だからだ。
もし、朝鮮半島が韓国で統一されてしまったら、中国は非常に困るだろう。中国にとって、北朝鮮という国は重要な外交カードだからだ。中国は、朝鮮半島で混乱が起きるのは絶対に避けたいと思っている。朝鮮半島が二分されているのが中国にとって、最も望ましい形なのだ。だからこそ、中国は金正恩政権が崩壊した時のための後継者として、金正男を保護し続けてきたのだ。
中国は、北朝鮮との国境に人民解放軍をたくさん派遣している。もしも金正恩氏が暗殺されたり、クーデターが起こるようなことがあれば、すぐさま北朝鮮に入って抑え込もうとしているのだ。これが現実化すれば、アメリカも黙ってはいないだろう。下手をすると、第2の朝鮮戦争が起こる可能性もある。
こうなると、韓国は、アメリカか中国と協力するか、あるいは自主的に対応するだろう。ただ、今、韓国は朴槿恵大統領が弾劾裁判中であり、その余裕がない状況だ。
おそらくこの夏には、朴槿恵大統領が失脚して、大統領選挙が行われる。このまま行けば、最大野党の「共に民主党」の禹相虎(ウ・サンホ)院内代表が当選する可能性がある。すると、韓国は在韓米軍への「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の配備を破棄することも考えられる。アメリカはそれを非常に恐れているに違いない。
先日、アメリカのジェームズ・マティス国防長官が日本より先に韓国を訪れたのは、この事態を重く受け止めているという理由もあるだろう。
金正恩体制になってからは、ミサイル発射や核実験の活発化するなど、中国政府の意向に耳を傾けない傾向にある。これに対して中国も黙ってはいない。中国商務省は2月18日、北朝鮮からの石炭輸入を翌日から今年末まで停止する制裁を発表した。
中国としても、金正恩氏の「暴走」を止めたいのがホンネだ。金正恩氏は、これまでに金正男氏に近いとされた人など200人近く粛清したという。自身の後見人とされ、北朝鮮のナンバー2だった叔父の張成沢・党行政部長も粛清した。
金正恩氏はストレスの塊だと僕は思う。彼には相談できる相手が誰もいない。彼との距離を縮めると、下手をすれば暗殺される危険性があるのだから、当然だ。正常な精神状態ではないだろう。
そこで最も危惧すべきことは、金正恩氏が、ストレスの塊からノイローゼになって、正常な判断力を失ったままミサイルを発射してしまう可能性だ。アメリカ政府も日本政府も非常に危機感を強めている。
トランプ大統領は金正恩と話し合うか
事実、2月12日の午前7時55分、北朝鮮が日本海に向けて弾道ミサイルを発射した。これは安倍晋三首相が訪米し、ドナルド・トランプ大統領とゴルフを楽しんで話をしている最中の出来事だったという。安倍・トランプ会談に対する牽制の意味があるのだろう。
これに対して安倍さんとトランプ大統領が「断固たる措置をとる」と表明したわけだが、「断固たる措置」とは一体何なのか。北朝鮮は、バラク・オバマ政権時代からミサイルや核実験を何度も繰り返していた。ところが、オバマ大統領は北朝鮮に対して様々な表現を使って非難はしたものの、結局のところ強硬な措置はとらなかった。
トランプ大統領は北朝鮮の扱いをどうするつもりなのか。選択肢は大きく2つある。1つは、強行策をとること。もう1つは、トランプ氏が金正恩・朝鮮労働党委員長と話し合うことだ。
トランプ氏は大統領就任前には激しく中国を非難し、台湾の蔡英文総統と電話会談をするなどして「1つの中国にこだわらない」というスタンスを示していた。だが、安倍さんの訪米を前に中国の習近平国家主席と電話会談し、「1つの中国」の原則を尊重すると伝えた。
言動やスタンスがコロコロと変わるトランプ氏が北朝鮮に対してどういう対応するのかを予測するのは難しい。ただ、米国はこれまで北朝鮮との対話の道を閉ざしてきた。それが転換する可能性は否定できない。
小泉首相とブッシュ大統領、「密約」の過去
2002年9月、小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問し、金正日総書記と日朝首脳会談(平壌会談)をした。北朝鮮はずっと「拉致など一切やっていない」と言い張り、拉致問題を全て否定していたが、この会談で金正日氏は日本人の拉致を認め、全面的に謝罪した。
僕は当時、金正日氏は暗殺されるのではないかと危惧した。拉致を認めて謝罪などすれば、北朝鮮は国家として成り立たなくなると考えたからだ。そのリスクを考えると、北朝鮮の機密機関や軍の関係者から命を狙われる可能性も否定できない。
そんなリスクを冒してまで、なぜ金正日氏は拉致問題について謝罪したのか。僕は帰国した小泉さんに、「よく金正日氏は謝罪した。なぜなのか」と尋ねた。
実は、小泉さんは北朝鮮に行く前に、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領と、密約を交わしていたという。小泉さんは、ブッシュ大統領に「もし、金正日が全面的に拉致問題を認めて謝罪をしたら、ブッシュ氏は北朝鮮との話し合いのテーブルについてくれないか」と言った。すると、ブッシュ大統領は「分かった。北朝鮮の相手になる」と言ったそうだ。
小泉さんは、金正日氏にこの話を伝えたから、拉致問題への謝罪が実現した。つまり、北朝鮮の「アメリカに相手になって欲しい」という思惑を取引に使ったわけだ。
ところがその後、風向きが変わってしまう。その後、ブッシュ氏がアメリカで内部調査を行ったところ、北朝鮮との交渉を行えば、支持率が急落することが分かった。そこでブッシュ氏は、小泉さんに「残念ながら、アメリカは北朝鮮と交渉することはできない」と言った。結果的に、アメリカと日本は、金正日氏をだましたことになったのだ。
そこで金正日氏はどうしたか。2006年、北朝鮮は初の核開発を行うことでアメリカにプレッシャーをかけた。これによって、アメリカはようやく北朝鮮との対話を再開したのだった。
ところが、2011年に金正日が死去した後、オバマ大統領は2012年以降、北朝鮮との交渉を止めてしまった。金正恩氏は、ここで再びアメリカを再び交渉のテーブルに着かせようと、2016年1月に核実験に踏み切った。それも従来より規模の大きな水爆実験だ。
米国と交渉のテーブルに着くことこそが目的で、気を引くがためにミサイル発射や核実験を繰り返してきた北朝鮮。今後の焦点は、やはりトランプ氏が北朝鮮に対してどのような措置をとるのかということだ。
強行策に出るのか。あるいは、交渉のテーブルに着くのか。北朝鮮とアメリカが直接対話をすることになれば、中国も黙ってはいられないだろう。まずはトランプ大統領の金正恩氏への対応に注目したい。
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