年末は、毎年28日頃から買い出しを始め、おせち料理の準備を始める。小さい頃から母が作っていたので、結婚してからも家で作るのが当たり前だった。それに、アキオと二人で祝うお正月のおせち料理を作るのはとても楽しい。

 25~26品を作るので手間と時間はかかるが、おせち料理には日本料理の基本が詰まっている。買い出しはもちろん一緒に行く。

 ずしりと重い三段重とお雑煮、ばら寿司、茶碗蒸し、そしてお酒。毎年、楽しいお正月だった。食卓に料理の皿を並べ、同じものを一緒に食べる。「お、うまいね、これ」「うん、おいしくできた」と自然に笑顔がこぼれる毎日。料理を作って、おいしいねと一緒に笑う幸せが、当たり前にそこにあった。

 それが…

口腔底がんでものを噛む機能に障害が

 「どうして食べられないの?わがままだよ」

 半分近く残された病院食を前に、思わず責めてしまった。アキオは無言のまま、力のない表情で見返してくる。

 ある日、アキオは肺がんを患い、その手術から1年半後に今度は、口腔底がんが新たに見つかった。

 口の中を大きく切除する手術は成功したが、下あごの麻痺、ものを噛む機能に障がいが残った。手術後27日間におよぶ栄養点滴だけの日々で体重は激減している。ちゃんと食べて早く体力を回復させてほしい。だから、つい口調がきつくなる。

 その日、出された病院食は、おかず二品と汁もの、そして20倍粥だった。20倍粥は米1に対して水20の割合で作った薄いお粥のこと。普通のお粥が5倍粥だから、20倍はほとんどスープに近い。

 手術後、アキオが使える下の歯は奥歯1本だけになった。状態が落ち着いたら義歯を入れるつもりだ(と言っても状態が落ち着くまでには2年くらいかかると医師から言われている)が、それまでは、ものを食べる時は「噛む」というより、舌と上あごを上手に使ってつぶすしかない。

 下あごが麻痺しているため、アキオは手鏡で確認しながらスプーンを口の中に入れ、食べ物を上唇で押さえてスプーンを引き抜いて食べ物を口に運ぶ。鏡を見ないと、うまくいかずに口の端からこぼれてしまうのだ。そして口の中に意識を集中して、舌と上あごで食べ物をつぶし、ゆっくり飲み込む。そうやってアキオは病院食を1時間半かけて食べ続け、途中で疲れ果てて放棄してしまったのだった。

「早く会社に行きてえ!」

 手術は舌の一部を含み、口の中を大きく切除するもので、下あごが麻痺し、移植による再建手術によって構音(話すこと)にも障がいが残った。

 「話せるようにならなければ仕事に復帰できない」という焦りがあったのだろう。それまでのんびりしていることが多かったアキオが、毎日、朝昼晩と欠かさずに口腔リハビリに励むようになった。

 口腔リハビリとは、「かむ」「飲み込む」「話す」といった口の機能を回復させるために、早口言葉や体操などで舌や口の周りの筋肉を動かして鍛える練習をいう。

 大きく口を動かしながらの発声や、舌を動かし、頬を膨らませる動き、早口言葉を言う練習を1回に30分~40分かけて行う。「パパパパ」「タタタタ」「カカカカ」「ララララ」と発生する「パタカラ体操」は、唇と舌の動きの練習だ。発音してみるとそれぞれ唇や舌の動きが違うことがわかる。口の周りの筋肉を動かす体操にも取り組んでいた。

次ページ 「わたしがアキオを復帰させる!」と誓った、が