病気になれば代わってあげたいと思うし、アキオが不快な思いをすると私もつらくなる。だから、雨や雪が降る日は必ず、もちろん風が強い日も「ねえ、今日、会社休めば?」と勧めるのだ。
アキオだって負けてはいない。「僕の趣味は妻」と公言し、私を喜ばせることに、まるで趣味に没頭するかのように、できる限りの時間を費やす。同窓会など、どこに行くにも私を連れて行く。私がやりたいということは叶えてくれる。毎日「世界一、愛してる」と言い、私が何かやるといつも、コレをこうできたのがすごいね、と具体的にほめる。「二人でいると幸せ」とアキオが言うと、私も幸せを感じる。
ある時、「僕らは依存夫婦だね。どちらかが欠けたら生きていけない。大好きだよ」と言ってくれたけれど、いつも甘えてばかりの私がアキオに頼りにされていると知って本当にうれしかった。
どちらかと言えばマイナス思考になりがちな私は、いつもアキオのこういう言葉や行動に救われ、励まされ、認められ、アキオの前向きな生き方に引っ張られてきた。思えば、私はずっとアキオという揺りかごの中で子供のように安心しきって暮らしているようなもの。私も、アキオをそんな風に安心させてあげられているだろうか。時に互いが互いの父母であり子供であり、兄弟であり姉妹であり、そんな風に一緒に生きている。「僕の方が君を愛している」「いや、私の方があなたを愛している」という言い合いはいつもくすぐったいけれど、楽しい。
仕事の喜び、おいしいねと一緒に笑う幸せ
アキオは自分の仕事が大好きだった。時にはかなり忙しくて帰宅が深夜になることもあるが、アキオの口から仕事の愚痴を聞いたことはただの一度もない。帰ってくると、好きなお酒を飲みながら、職場での面白い出来事などを楽しそうに私に話す。その日に出会った人のこと、その人がどんなに魅力あふれる人だったか、同僚や部下たちがどんなことを言い、その仕事ぶりについてのエピソードを、まるで子供が母親に、その日にあったことを興奮して話すように目をキラキラさせて話す。
担当する分野や業界が変わると、その度にたくさんの関連書籍を買って、その業界の状況を熱心に研究していた。時にはフィールドワークと称して街に出る。ノベルティなどを扱う業界の担当になった時は、休みの度に雑貨屋さん巡りに出かけた。そしてなぜかいつも私を巻き込む。「一緒に行かない?」と。これがまた楽しかった。
家でのアキオは完全にオフモードでいる(つまりダラダラしている)ので、「この人、これでちゃんと会社で仕事しているのかな」と思うこともあったが、自宅で受けた電話で、テキパキと仕事の指示を出しているのを聞いてほっとした。
「天職に就いた。ずっと現場に居たい」
いつだったか、「この仕事に就いて僕は本当に幸せ。天職だと思う。ずっと現場で働き続けたい」と言っていた。朝、出かけるアキオの背中を見ればわかる。一歩家を出たら頭の中は仕事でいっぱいなのだ。私はそんなに仕事が大好きなアキオを困らせたくなって、「私と仕事とどっちが大事なの!?」とわざと尋ね、しつこく迫って「クリコ」と言わせていた。
アキオは友達が多い。ビックリしたのは結婚が決まるとすぐに小学校時代からの友人たちに紹介されたことだ。
そのうちの一人が中学生の時にお母さんを亡くし、アキオたちが「さみしいだろうから、あいつの誕生日をみんなで祝ってやろうぜ」と誕生日会を開いたのがキッカケとなり、それ以来、その誕生日会は今に至るまで毎年欠かさず続いている。幼なじみから小・中・高・大学時代まで紹介された友達は多いが、数が多いだけではなく、その関係が親密に長く続いている。そして、そうした同窓会や友人たちの集まりには決まって「君も一緒に行かない?」と誘われ、今ではその人たちは私にとってもかけがえのない友人たちになっている。
そんなアキオは家に友人や会社の同僚達を招くのが好きで、結婚後は毎週のようにホームパーティーを開いた。どんな料理でもてなすか、メニューを二人で相談して、和食だけでなく中華やイタリアン、フレンチにインド料理も作った。アキオは試食にも喜んで応じてくれ、当日、招いた友人達に渡す「本日のメニュー」は毎回、アキオの手作り。料理はいつも好評で、レシピや作り方を教えてほしいと言われることも多かった。
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