ガンとの闘いに体力を奪われ、普通なら歩いて10分程度の駅までの道を、7、8回休憩しないと行けなくなったと言い、1時間以上かけて歩いていく。タクシーで行くように言っても聞かない。苦しいのになぜそうまでしてと、わたしは思った。空気や木々の匂いや、家々の日常の風景を少しでも長く感じていたかったのだろうか。いつもと同じように普通に、今まで通りに暮らしたかったのかもしれない。

 その後、アキオの体調が悪くなるにつれ、会社で任される仕事は減っていったようだった。それでも、アキオはどんなに小さな仕事でもうれしかったらしく、一生懸命に取り組んでいた。

 「みんなさあ、優しくて、すごくいい職場なんだよぉ。僕なんかさあ、もうできる仕事なんかほとんどないのに、嫌な顔ひとつしないで居させてくれるんだよ」と言い、心から感謝していた。

 仕事は生きる糧だ。
 生きるためのお金を稼ぐというだけの意味ではない。

 社会とつながり、仕事を通じて自分が人や会社や社会といった、誰かや何かの役に立っているという喜びがそこにはあるのだろう。思うように働けなくなってしまっても、いや、自分の生命の終末を見つめたからこそ、アキオは出社をヤメず、社会とつながり、生きている実感を求めていたのではないかと思う。

僕がいなくなった後は、妻をよろしく頼む

 そして、アキオは友人達とのお別れの会を自ら計画した。幼なじみ、大学時代の友達、会社の仲間との食事会をそれぞれ催し、友人たちと語らうひと時を楽しむ。もちろん、わたしも一緒に連れて行く。

 「僕がいなくなった後は、妻をよろしく頼む」とアキオは言い、友人らに別れを告げる。アキオの病状をずっと見守り、快復を応援し続けてくれた友人たちは涙を見せまいと決めていたのだろう。いつもと変わらぬ、笑いの絶えない語らいに湿っぽさはなく、明るくさらりとした別れだった。

 お別れの会でも、アキオは食べることを楽しんだ。うなぎ会席、ちらし寿司、しゃぶしゃぶ…。自分で行きたい店を選び、料理のほとんどを食べた。わたしが以前からアキオと一緒に行きたかった豆腐会席のお店にも仲良しの友人夫妻と一緒に行き、さまざまな工夫を凝らしたお豆腐料理に、アキオは「おいしいね。君がずっと来たがっていた店にやっと来られたね」と満足そうだった。