シリーズ
2014年 日経ビジネスが選んだ100人

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宮坂学:志を重んじる勉強家
宮坂社長に初めてお会いした印象は、「自然体でポジティブ、エネルギッシュな方」。人格者でありながら、子供のような好奇心と率直さを兼ね備えた人間力を感じ取ることができた。
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柳井正:日本と中国の懸け橋
一代でユニクロを生み、売上高1兆円超の企業に育てた柳井さん。ぶれない信念を持ち、何事にも集中する。そして何より負けず嫌い。
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是枝裕和:矛盾を楽しむ
龍馬伝、ガリレオ、そして次に誰を演じるべきか――。僕が次の出発点を探していた矢先、是枝監督との出会いがひとつの転機になった。
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菅義偉:武闘派調整役
2001年の中央省庁改革で、いくつかの省庁や官職の権限は大きく変化した。その象徴が、内閣官房長官の役割だ。それ以前の官房長官は、どちらかというと内閣のスポークスマン的な役割で、政策そのものに大きな発言力はなかった。
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宇田川信学:人を動かすデザイン
私が彼に最初に出会ったのはヤマハの楽器デザイン担当だったときだ。彼は当時、22歳。新卒で入社してきた。世界を目指しているんだという話を聞いたことをおぼろげに覚えている。
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森田理香子:おごらぬ姿勢、静かな闘志
結局は、自分との闘いなのでしょう。ゴルフは相手のいないスポーツ。テニスとも、野球とも、相撲とも、そこが違うのです。人を蹴落とすとか、他者と競争するとかではない。
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水野明久:殿様の開国宣言
全国に10人の「殿様」がいて、それぞれ悠悠自適の生活を送るような世界は、そう長く続かないだろう。この国の電力業界のことだ。エネルギーのベストミックスを考えると火力、水力、原子力、太陽光などすべての選択肢を残すのは当然のこ…
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市川中車(香川照之):情熱的な「猛優」
映画の世界ですでに「名優」と呼ばれる彼が、歌舞伎の世界に身を投じると聞いた時、思わず「あっぱれ!」と膝を打った。歌舞伎は「血筋の芝居」と言われる。自分の代で血を絶やすことは許されない。
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豊田章男:ピンク・クラウン、悪くない
会ったことも、話したこともない、この人の気持ちが僕にはよく分かる。トヨタ自動車とはスケールが違い過ぎるが、祖父が印刷業を営み、僕はその跡取りだった。
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能年玲奈:「原石」のまま
原石のままの女の子―― 。話し方、表情、そして間。何をとってもアキ(撮影現場ではこう呼んでいました)には独特のリズムがある。磨かれていない原石のままの可能性を秘めた少女。
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伊東豊雄:諏訪湖の水面のように
伊東さんの建築には“絶対的水平感覚”がある。彼のこの珍しい感覚はどうして生まれたのか。冬に氷が鏡面と化す諏訪湖畔に彼が生まれ育ったことは、きっと無縁ではないはずだ。
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新城幸也:島の太陽が育てた
日本での自転車競技はまだまだマイナーの部類だが、「ツール・ド・フランス」といえば、誰でも一度は耳にしたことがあるだろう。フランスの山岳地帯を約3500km、3週間かけて駆け抜ける世界最高峰のロードレースである。
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三木谷浩史:「面白さ」で打倒アマゾン
日本で最も意欲的で、たくましく、そして面白い経営者を挙げよといわれれば、私は三木谷浩史の名前を挙げる。彼は、何と楽天の社内公用語を英語にしてしまった。
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窪田規一:平成のサムライ
窪田さんとは以前、「事業を成功させてプロジェクトXに出よう」と言って、食事の様子を写真に収めた。“苦労していた名もなき男達、そしてそれが報われた”と題字まで考えて夢を語り、事業の困難さと苦労をお互い慰めあった。
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マイケル・フロマン:几帳面で真面目一筋
米通商代表部(USTR)代表にマイケル・フロマンが就任する――。このニュースを耳にした私は驚きを隠せなかった。私の米ハーバード大学留学時代のルームメイトこそ、マイケル・フロマンこと、マイクだったからだ。
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松本宜之:アクセル全開でインドを攻める
松本氏は、名古屋で育った。同郷のよしみで折に触れて話を聞く。熱い人だ。理詰めで思考する一方、ユーモアあふれた話術で、人を惹きつける。「天才技術者」という声が同僚からあがる。「会社を辞めろ」と部下に迫ったという伝説まである…
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山根一仁:ずっこけたオジサンたち
その日、N響のオジサンたちは機嫌が悪かった。「ホープコンサート2013」のリハーサル日、御登場遊ばされたメガネ少年(山根氏)の態度を見て、東海林さだおのマンガみたいに「ま――っ! なんざんしょ!」と前歯を突き出して目くじ…
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百田尚樹:児玉清さんの言葉
大ベストラー作『永遠の0』(講談社文庫)の解説を書いた児玉清さんから生前こんな言葉を聞いたことがある。「人生は50歳からだ」。人間は人生の終わりが見える年になると努力をしなくなる。だから50歳から努力した者が伸びるのだ、…
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國中均:「隼」と「はやぶさ」
宇宙探査機はやぶさが、光の尾を引いて地球に戻ってきたとき、私は、不思議な縁を感じずにはいられなかった。
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藤田浩之:オバマも認めたものづくりの志
藤田浩之さんと初めて会ったのは2006年、米国クリーブランドにあるケース・ウェスタン・リザーブ大学の“倫理と叡智のための稲盛国際センター”の開所式に出席したときであった。