(写真=福田克之)

 もう、話にならない。僕ら2人が顔を合わせれば、お互い、好き勝手なことばかりいう。彼女はイルカ。僕、ミドリムシ。1つのことに没頭してしまった者同士の対話なんて、まあ、そんなもんだ。

 真っ青な海とイルカ、そして鈴木あやの。完璧過ぎるほど、決まっているじゃないか。美しい。僕も、愛するミドリムシと構図に収まってみたいが、如何せん、ミドリムシは小さすぎる。どうせ、「緑茶の中を泳ぐオヤジ」にしか見えないのが悲しい。

 東京大学農学部の同級であり、同い年。学生時代にどうして出逢わなかったのだろう。いや、どこかで、すれ違っていたに違いない。とても悔やまれるが、今更、そんなことを言っても始まらない。

 うむ、例えるならばダイソンの掃除機かな。そばにいるだけでワクワクするし、何せ、すごい吸引力だ。吸い込まれるのは僕ら研究者や経営者だけではない。大人も、子供も、オヤジも、年寄りもみんな、彼女の魅力に吸い込まれる。

 それは彼女がイルカを通じて語りかけ、イルカが彼女を通じて、僕らに語りかけているからだ。イルカと人間との通訳が鈴木あやのだ。

 海のこと。地球のこと。家族のこと。今朝の食事のこと。100年後の子孫のこと。

 今日も世界のどこかで、誰かと誰かが憎しみ合い、殺し合っている。1円を10円に、100円を1000円に増やすことに躍起になっている人もいる。

 しかし、鈴木あやのはそんなちっぽけな世界にはいない。きっと、僕らよりもはるかに高い立ち位置で、見えない者同士の橋渡しをしているのだ。

 でも。ミドリムシの研究者は、無理矢理、考えてみた。

 ミドリムシはミジンコに、ミジンコはイワシに、イワシはカツオに、カツオは…イルカに食べられる。綿々と織りなす食物連鎖の、はじめと終わりで、ミドリムシとイルカ、そして僕らは繋がっているのだ。