教師という職業は因果なものだ。生徒にテストで良い点をとってほしいという願いを抱くと同時に、満点をとられるのはシャクなのだ。生徒に負けたような気がして。先日たまたま堺雅人の高校時代の国語担当の先生に会った。その時に先生がなつかしそうに言った。「堺君に満点をとらせないようみんなで苦心して問題を作成しましたよ」。それだけ文章の理解力は抜群だったのだ。その理解力を散文、詩歌、台本、そして人間に対してもさらに深め増していったことを、彼の高校生時代にカウンセラーとして話を聴いて以来20年のつきあいになる私はよく知っている。

 堺雅人は「理解魔」である。おそるべき、という形容詞をつけてもいいかもしれない。ただ、それは彼がすべてを理解できる能力を持っているということではない。逆に彼はいつでも「理解」が足りないと思っているだろう。だから「理解」するための実に壮絶ともいうべき努力をする。そして、たゆまぬ努力家が謙虚であるように、彼はいつも謙虚である。