(写真:尾苗清)

 東日本大震災で壊滅的被害を受けた宮城県南三陸町。志津川病院で勤務中だった3人の常勤医の1人が、内科医の菅野武(32歳)だった。大津波襲来の警報を聞きスタッフ76人とともに107人の入院患者を最上階へと運び上げようとしたが、民家が壊れる音が響き、病院にもわずか30分ほどで大津波が襲来。助からないと覚悟し、財布から出した結婚指輪をはめる。65人が流された。

 苛立ちと無力感。だが、「これ以上、死んでほしくない、後悔したくないなという思いで、最後まで自分でやれることを探そうと決意しました」。窓の外は茶色一色に変じ、そこに雪が舞う光景は「この世の終わり」に見えた。患者のために段ボールを敷き、カーテンで保温。血栓予防のため「体を動かしましょう」と声をかけ続けた。救出されたのは3日目。この間に息を引き取った患者もあり病院スタッフ3人も含め犠牲者は約70人に上った。

 出産のため仙台にいた妻と長女の元に戻り、3日後に長男が誕生。悲劇の中の光だった。自治医科大学出身で学生時代から僻地医療を経験し、再び南三陸町に戻り被災者救護を続けた。震災対応に尽力したのは自分だけではないという思いもある。だが、報道を通して惨状を世界に伝え、望ましい防災地域医療の一助になればと応じている。現在、東北大学大学院博士課程で、今回の災害の教訓を生かした提言を論文にまとめようと取り組んでいる。