
東日本大震災後に首相補佐官として原子力発電所事故の対応に当たった。政府と東京電力の統合対策室で現地との調整や長時間の記者会見を連日こなした。
その仕事ぶりを菅直人・前首相が評価し、6月に39歳で原発事故担当相として初入閣を果たす。「議論ばかりで決められない」政治家が多い民主党にあって、「私が責任を取る」と決断を下す場面が続き、官僚も一目置く存在になった。
シンクタンク研究員を経て2000年、落下傘候補として静岡7区から出馬。「地盤、看板、カバン」がない中、28歳で初当選を果たす。前原誠司・民主党政調会長が代表時に党役員室長に就任。小沢一郎・元代表が幹事長時代には党組織委員長などを歴任し、党運営の手法を学んだ。
昨年秋の尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件後には、当時の仙谷由人・官房長官の「密使」として中国要人と会談した。党の実力者の信任も厚く、次をうかがう位置まで階段を駆け上がってきた。
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