汚染で紫色だった水路で子供が遊べるようになった

地域はどのように変わったのでしょうか?

ブリッケル氏:祖父母や両親などの世代から、この地域が以前、イノベーションや製造、デザインなどの拠点となっていたことを聞いて、誇りに思っていました。これらは過去の産物だと思っていましたが、現在誘致しているビジネスや大学などによって、今、もう一度この一角が、新たな発明やデザインなどを生みだしています。もう紫の水はなく、この夏、初めて水路にはボートやカヌー、スワンボートが浮かび、現在、ここの水は子供が遊んでも安全なものになりました。

 また、近隣住民は、五輪が来ることにとても興奮し、人々にプライドをもたらしました。オリンピック・パラリンピック開催中、聖火がここへ来た時も、本当に素晴らしかった。聖火が街を通りぬけているとき、店から乗り出す人たち、店の上階から身を乗り出す住人たち。あまりに多様なこの街ゆえに、沿道には世界中の人たちであふれ、大会中、この高揚感はずっと続きました。

 五輪開催後、2012年11月の地元のアンケートでは、生活満足度がロンドンの他の地区すべてを抜き去っていました。住民が、印象論ではなく、大会後数年に渡り、地元について良い気持ちを持ち続けました。特に若い世代の人たちの間で良いムードが蔓延していた。大会前は、ここにショッピングセンターや五輪会場、店舗など作っても「恩恵は地元に降ってこないだろう」と言われていたのですが、雇用が地元に生まれた事で、将来についても人々は自信を持つようになった。私は立場上、ひいき目で見てしまうのかもしれませんが、今は「このチャンスを絶対つかもうじゃないか」という雰囲気に満ち、五輪を開催する前とは全く違います。

東京は現在、会場建設などについてもめており、五輪開催に必ずしも肯定的な意見ばかりではありません。ロンドンも、直前まで五輪に対して冷ややかな視点が多かったと聞きますが、どのようにして人々を巻き込んでいったのですか?

ブリッケル氏:まず、政治家は自分たちの問題を解決するべきです。英国では政治家は自らが問題解決にあたり、リーダーシップをとることに専念しました。リーダーシップなくして、追随する人たちが出ないのは当たり前です。2つ目は、私たちには大会をなぜ開催したいのかという点において、非常に明確なビジョンがありました。人々が貧困にあえぎ、恩恵を受けていなかったロンドンの一部地域を、経済的なチャンスで変えるということです。人々はそのチャンスをつかみ、ロンドンや英国経済の足を引っ張るのではなく、経済に貢献する側に転換させたのです。

 「こんな高価な2週間なんて」という人もいたかもしれませんが、そう言う人たちには「すまないが、その認識は間違いだ。ほとんどの支出は、ロンドン東部を変えるためのもので、これで経済活動が増加し、数年で収支は合う計算になる」と伝えました。

 五輪スピリットというものは、個人に、あるいは、コミュニティに「語りかけていく」ものです。「では、あなたはどうするのか?」と。政治家がうまく立ち回れていなくとも、個人個人はどうすべきか?を問うのです。

五輪招致が決定した数カ月後、ブリッケル氏らは東部地区のある会場で「ビッグ・サンデー」というイベントを開催した。趣旨は背景の全く異なる一般の人々に参加してもらい、一人ひとりにとって「五輪は何を意味するのか」を発言してもらうものだった。

ブリッケル氏:かなり大規模な会場を借りたことと、ものすごく寒い2月の日曜日で、ちょっと不安でしたが、3万5000人もの人が集まりました。あんなに大きな集いはなく、本当に驚愕しました。興奮が溢れかえっていました。こうした事を継続し、人々を刺激し続けました。

 これは東京へのアドバイスですが、政治家がリーダーシップを取っていないと感じるのなら「あなた自身はどうしたいのか」を問うべきです。オリンピック・パラリンピックは本当にものすごいイベントです。すごいものがあなたの元へ来るのです。無駄にせず、不満を言わず、変化を起こすための責任を一人一人が担うべきです。

 それは本当に小さなものかもしれません。ロンドンではストリート・パーティーを開いた人々も、また、スポーツクラブを設立した人もいます。人々は「スポーツね。なるほど」と、そこでできる事を考えました。ある地域では「この5年で、自分の暮らす通りの人たちの団結を促して、コミュニティスピリットを構築しよう」と試みた人もいました。何でも良いのです。「あなたが何をしていくのか」を考える事は、とても重要な側面だと思います。

例えば、アテネやリオ、また、1964年に最初の五輪を開催した東京は、未だ発展途中で、開発の余地がありました。しかし、ロンドンも東京も今や「成熟都市」であり、インフラなどの整備は必ずしも必要ではありません。

ブリッケル氏:当然、ロンドンは成熟都市です。しかし、このご時世、成熟社会が1つのところに留まるということはありません。(進化しなくては)世界の都市から取り残されてしまいます。東ロンドン地区は長らく、我々にとって悩みのタネでもあり、同時にチャンスでもありました。五輪がその問題の多くを解決しました。オリンピック・パラリンピックは、こうした成熟都市が、世界的な都市として成長し、発達し続けるチャンスだと考えます。

この4年間ご自身の魂に五輪の火は灯り続けていますか?それは、どのようにして継続しているのでしょうか?

ブリッケル氏:とてもエキサイティングな4年間でした。この地域の人たちに、大会時の単なる傍観者ではなく、一部となってほしいという夢がありました。ビジネスチャンスを得ることで、関連の職やスキルを得て、恩恵を受けてほしかったのです。こうした夢の多くが達成され、非常に嬉しかった。失敗もあり、まだまだ先は長いですが、大学などの誘致活動を20年間やり続け、当初とはまるで見違えたような変化をもたらすことができたら、とても満足のいく道のりだったと言えるでしょう。