五輪開催から何を得たいか、事前に明確に定める

当時、レガシー開発公社というのはロンドンにとって新しい試みだったのではないかと思います。困難なことはありましたか?

ブリッケル氏:私たちには(東部再開発という)明確なビジョンがあり、五輪は、それを早期に実現するための手段でしたが、これは特殊なケースだったのでしょう。バルセロナは同様のことをしたと言われ、冬季五輪を開催したバンクーバーも、ビジョンが明確だったと言われています。彼らは社会的企業・小規模ビジネスを再活性化するのが目的で、それを実現させました。教訓は、まず大会前に、大会から何を得たいかを非常に明確にする事です。東京では(会場建設など)色々問題があると言いますが、まだ4年あるのだから、これから理由を後付けすることになったとしても、「大会から何を得たいのか」を明確にするのに遅くはないと感じます。

鍵は「明確なビジョン」なのでしょうか?

ブリッケル氏:大会前の明確さ(ビジョン)は必須です。中央・国家、地域・都市にある各政府間の連携、そして自治体のすべてが「なぜ大会を開催するのか」という点で一致することが大切です。ロンドンの場合は、この地域を変容させる事が目的でした。そして、ここに暮らす人たちの生活を改善する、ここに暮らす人々をインスパイアし「彼らの魂に火を灯す」ということです。教育、技術習得、雇用、ビジネス、そしてビジネスの成長面において、チャンスをつかめるようにする事でした。

ご自身の役割を教えてください。

ブリッケル氏:五輪招致時の約束は、大会をこの地域で行い、このコミュニティ全体が恩恵を受ける事でした。私の仕事は、この約束履行をリードすること。例えば建設関連では、地元の若い人たちが建設業においてキャリアを構築できるよう、雇用機会やインターンの機会などを考えました。また、メディアテクノロジーなどの技術や、映画スタジオや大学、美術館、ダンスシアターなどの文化施設、さらにハイレベルの技術に関連した様々なビジネスの誘致など、雇用機会を地元の人にどのように得てもらうかを考えることが、役割の大部分を占めています。

ブリッケル氏率いるチームには、公共および民間セクターから、建設やエンジニアリング、メディアなど、様々な業種を経験したプロの人材が揃っている。レガシー開発公社を通じて五輪に関わりたいと、応募者が殺到したという。ブリッケル氏自身も、実は意外な経歴を持っている。ブリッケル氏は東部地域で生まれ育った分子生物学者で、白血病の研究者だった。

ブリッケル氏:今の業務に関連して、なんら訓練を受けたことはありません。英国で最も大きな小児病院の研究機関で、血液学の教授をしていました。ある時、3カ月の休職制度を利用し、何か別のことがしたくなりました。1999年、数人の友人と共に、五輪招致の可能性と、変化を必要としていた東部地区について考え、再開発について、私なりの構想レポートを書いてみたのです。復職して半年後、その友人らから「このアイディアで、我々を助けてほしい」と頼まれ、その時点でキャリアを変える事になりました。

 変化の可能性があるこの地区を見て、ここに暮らす人たちに恩恵をもたらすことができれば、人々が地域に貢献し、地元についてポジティブに思う事ができるようになる。五輪が、それを大きく助けると感じました。

 オリンピック・パーク周辺には、川や運河が流れていて、桟橋がかかっていましたが、このあたり一帯は昔、産業がひしめきあっていました。化学産業やエンジニアリング、プラスチックなど、あらゆる産業ですが、イノベーションと発明という良いものをもたらした半面、辺りは汚染され、悪臭が漂っていました。

 ある工場では、確かペニシリンなどの化学物質を作っていたのだと思います。うわさでは、毎週金曜、何者かが化学廃棄物を川に棄てていたと言われ、川が紫色でした。当時、私の祖父が化学薬品関連の仕事をしており、川を紫にしたのが祖父だったかは分かりませんが、個人的な罪悪感もあったのかもしれません。