政府自体が市民に対する保護もなく、情報収集できることになる

難しいのは、規制と表現の自由のバランスかとも思います。

バートレット氏:唯一の正しい答えはありません。今大きな議論となっているのは、(SNSなどの)プラットフォームを、法的な責任を持つ、新聞社のような出版業者とみなすのか、現状のまま、ユーザーが責任を有し、プラットフォーム自体はコンテンツに法的な責任を持たず、中立な存在とし続けるのかというものです。

 90年代にまだ比較的存在が小さかった頃に機能していたとしても、現在はこれで公正なのでしょうか。今は、プラットフォームをそのままにしておいても大丈夫だと思いますが、当局から「コンテンツを削除せよ」と、法的な令状と共に命じられた場合、それを即座に、効率的かつ透明性を持って行わせる法律が必要です。法的に、公的な場で発言される内容について、当局がなんらかのコントロールをしなければなりません。

 このことは、問題も引き起こします。英国では表現の自由が固く信じられています。英国内での法について、私は安心していますが、その他の国の状況には不安を感じます。他国が決めることですが、難しい問題であることに変わりはありません。

日本では、政府の要望に応え得る広告企業も存在しますし、また、国民投票において、英国での選挙法のような、広告に関する資金投入の上限が存在しません。

バートレット氏:非常に危険なことだと思います。普通は、政府に市民の情報を常に収集させない、つまり、政府の力から市民を守る法律が存在します。できるとしても制限が存在するはずですし、令状など、裁判所からの法的な書類が必要です。

 このことは、専制政治から人々を守るため、民主主義国家においての基本であるはずです。しかし、民間企業は令状や、市民を守る法的根拠など必要としません。こうした企業が個人情報を収集した挙げ句、それを政府に渡してしまっているとすれば、政府自体が市民に対する保護もなく、情報収集できることになります。

 私は、人々がどれほど無防備に自分たちの情報をさらけ出して、またその情報が、どれほど政府にとって重要なのかに気づいてもいないと感じます。政府は常に、市民の情報を欲しています。初めは「人々を犯罪行為から守りたい」などという良い理由で始まり、徐々に、スピード違反をさせないとか、ゴミの分別を徹底するためだとか、政府が市民のことを知らなければならない理由が、どんどん増えていくのです。

 やがて、政府がより中央集権的、革新的、独裁主義的になった場合、旧東ドイツのシュタージ(秘密警察)が大喜びしたであろう個人情報の山を手にすることになります。私たちは、そのことに気づきもせず、いつの間にか情報を提供してしまっているのです。

情報を安易に提供しないために、日本の市民にもできることはどんなことですか?

バートレット氏:まずお伝えしますが、それはとても困難です。私たちが常にデータを提供しているサービスは、非常に便利だということがまず一つ。私たちが好み、利用を楽しむからこそ、これらのサービスは成功しているのです。ある商品の利便性に慣れ、日々生活が楽になってしまえば、それらの利用をやめるのは、困難です。

 しかし、結果として私たち自身が、私たちに関するより精巧な型を作る「データ・マシーン」に情報を提供しているということなのです。市民は、部分的にこの状況に加担していることを認識すべきです。何にクリックし、シェアし、どのサービスを利用するのか、どのデータを教えてしまうか。これらは、私たち自身が答えなければならない、道義的な質問です。市民自身が、自分のプライバシーについて責任を持つ。何の疑問もなく個人情報をさらけ出すことの意味を考え、利用規約を読む。

 また、ある特定のサービスにのみ情報を独占させないために、いくつか異なるサーチエンジンを利用することです。利便性には欠けるかもしれませんが、これが私たちの民主主義を健全に保つための代償かもしれません。

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