日本に「報道の自由」はあるのか

 欧州はこの数年、難民問題で激震が続いた。そうした難民の中にエリトリアの人たちが数多く含まれていることを知りながら、今回の取材まで、その凄まじい現状を把握していなかったことを、恥ずかしく思った。

 一つひとつの言葉を噛みしめるように話してくれたハドグさんが祖国を想う様子を見ながら、ふと日本へと思いを馳せた。ハドグさんが「強い民主主義が存在する」と羨望の眼差しを向ける日本は今、ハドグさんに堂々と誇れる民主主義を、貫いているのだろうか。

 先月、東京新聞社会部の望月衣塑子記者が、菅官房長官の会見で加計学園問題について繰り返し鋭い質問を投げかけて追求したことが、大きな話題となった。筆者は、このことが騒ぎとなること自体に疑問を感じる。国民に不利益をもたらす疑惑があれば、その相手がたとえ権力者であろうとも、納得のいくまで追及し続けることが、報道機関の果たす当然の責務だと考えているからだ。

 多くの犠牲者を出したロンドンの高層ビル火災の後、メイ首相は迅速に原地に赴き被災者を見舞うなどの行動を起こさなかった。それに対し、BBCの看板アンカーの一人が「火災から3日間も何をしていたのか!」と、メイ首相との1対1のインタビューで激しく追求する場面があった。

 政権と報道機関との間に密接な関係が生じる記者クラブ制度がある日本では、望月記者による「普通の」仕事ぶりが異様に映ったようだ。しかし、記者クラブ制度がない英国では、政権側と記者クラブの“暗黙のルール”に配慮して追及を緩めるようなことはない。逆に、そうした姿勢でいる記者は、視聴者や読者から記者としての資質を疑われる。

 だからこそ西欧の記者は会見などで、日頃から厳しい質問を首相など権力者に直接浴びせる。一方、権力側も、そうした質問に対する受け答えで鍛えられる。日本の権力者の報道対応が西欧のそれに見劣りするのは、想定質問にしか投げかけない記者クラブの弊害とも言えるだろう。

 そうした日本の現状を考えると、壮絶な体験を生き抜いたハドグさんの「日本にはまだ強い民主主義が存在する」との言葉は、重く響く。報道機関が萎縮することなく、堂々と取材活動を行える民主主義を守っていかなければと痛感する。