突然逮捕され、灼熱の砂漠の刑務所で拷問された

 ハドグさんは1971年、エチオピアからの独立戦争の最中に生まれた。「戦争、飢餓、干ばつが絶えない祖国の姿しか知らない」と話す。1985年には一家でスーダンに逃れ、難民キャンプで教育を受けた。その後も勉強を続け、たゆまぬ努力の末に英国の大学から開発関連の修士号を取得する。

 その後、ハドグさんはエリトリアに戻り、人道支援活動を行っていた。ところが、やがて政権からの度重なる逮捕、収監、そして拷問を受けるようになり、その状況に耐えかねて、ついに亡命を決意する。ハドグさんの生々しい証言は、背筋が凍りつくほどの恐怖に満ちている。同じ取材者として、祖国の惨状を伝える使命感に燃える姿に共感した。

 日本からは地理的に遠い存在のエリトリアだが、現地で起きていることを例に、今の日本も教訓とすべき民主主義、そして報道・表現の自由の尊さについて、話を聞いた。

エリトリアから亡命したジャーナリストのムシエ・ハドグさん(仮名)

ハドグさんは、まず人道支援の活動をした後にジャーナリストとなったのですね。

ムシエ・ハドグさん(仮名、以下ハドグ氏):当初は、エリトリアで人道支援活動と開発事業に従事していました。2001年、地方でフィールドワークを行っていた際、軍に拉致されて西部の刑務所に収監されました。軍の施設以外は無人地帯の砂漠です。そこで、地下牢に入れられました。80人ほどが収監されていましたが、とても暑く、生活自体が拷問でした。環境は劣悪で、日夜を問わず暗く、外には1日に2度しか出られません。排尿は、容器にするしかありませんでした。1カ月後、50人ほどの囚人とともに、別の警備の厳しい刑務所に移されました。その6日後に、逃亡しました。

 詳細は明かせませんが、捕まれば、殺されるか拷問されたでしょう。脱走計画が成功して幸運でした。安全な地にたどり着くのに砂漠を100キロほど歩きました。そこから(首都の)アスマラへ移動しました。

その1年後、ハドグさんは再度、軍に捕らえられたが、数日後に2度目の脱走に成功した。その後は隠れて暮らすことを余儀なくされ、5年後の2007年、旅行中に再び逮捕された。

ハドグ氏:ある場所に1週間収監され、8日目に別の囚人で密集した刑務所へ入れられました。ここも非常に暑く、窒息しそうでした。また捕えられた人たちで密集したトラックに乗せられ、アスマラ地区の刑務所に8日間収監されました。非常に大きな倉庫に300~400人ほどが入れられ、用を足す樽以外は何も与えられませんでした。とても不衛生で、囚人は鋭い石の上でも裸足でいなければなりませんでした。とても辛い状況で、食料も与えられませんでした。

 1週間後、また別の刑務所に移されました。そこでは気を失うか、そのまま死んでしまうほどの暑さでした。そこに3カ月収監されていました。そこから、他の2人の囚人と共に逃亡しました。その時はひどい脱水状態で、生命が危ぶまれました。口の中も、舌までが乾ききっていました。

 私は、目の前で人々が殺されるのを目の当たりにしてきました。私自身も他の人たちも拷問を受け、その中には障害が残った人や、死んでしまった人もいます。このような惨状を目撃しておきながら、私は、沈黙し続けることはできないと感じました。恐れ続けるのではなく、リスクを負ってでも、何かしなければならないと感じたのです。

逮捕された際、理由は告げられたのですか。

ハドグ氏:理由は一切告げられず、想像するしかありませんでした。私は当時、人道支援活動に従事していました。所属していた団体は大統領の政治顧問であり、与党の政治問題担当者が支援を要請したものでした。

 私の理解では、当時、エリトリア国境部隊とスーダンの反政府組織とが絡む汚職が横行していました。国境監視部隊は特権を反政府組織に与えることで、大きな恩恵を得ているように見えました。私がこれに強く反発したことで、(国境監視部隊と関係の深い)人道支援団体のトップが私の知らないところで、私の排除を決めたのでしょう。国境監視部隊の中の秘密部隊が突然私を捕らえ、地下牢に入れたのです。車は、この人道支援団体が使用していたものと同じものでした。

理由も告げられることなく、一般人が逮捕されるのは普通のことなのですか。

ハドグ氏:その通り。法律が機能していないのです。影響力のある人物であれば、利害の対立を理由に誰かを刑務所送りにできる。市民を守る法律がないのですから。

こうした逮捕で恩恵を受けるのは主に誰ですか?

ハドグ氏:これは、政権が作り出した(国民を管理する)システムです。人々を完全なコントロール下に置いているのです。無償労働や、マインドコントロール、恐怖による統治と、人々になんら(権利を)与えていません。

どのような拷問が行われるのですか?

ハドグ氏:殴られたり、様々なやり方で縛られたり。例えば「ヘリコプター」と呼ばれる拷問では、両手両足を後ろ向きに縛られ、腹ばいにさせられて、木から吊るされたりします。その他にも、いろいろな拷問があります。縛って、長時間放っておかれたり、床を這わされたり。時には水で地面を濡らし、その上を這わせるのです。水を撒かれた地面を這わされれば、体が泥だらけになります。他には、大きな岩を持たされて、ひざまずかされ、そのまま長時間放置される。筋肉が本当に痛み、体が震えますが、岩を放すことは許されません。私は、こうした光景をこの目で見たのです。

仮に刑務所から出られたとしても、長期にわたりトラウマが残るのではないでしょうか。

ハドグ氏:はい。刑務所を脱しても、ずっと軍や警察、治安部隊から隠れ続け、逃亡者でいなければなりませんでした。そして、夢を見るのです。エリトリアを出たのに、突然あの状況に戻ってしまうという夢です。頻度は年に数回に減りましたが、ひとつ状況判断を誤ったために、エリトリアに戻ってしまったという夢を見て、そこで覚めるのです。心に傷跡を残したということだと思います。