過激な活動と決別した元・極右団体構成員の告白

 現在、キャロルさんは地域のコミュニティーセンターやモスク、またソーシャルメディアなどで、コミュニティーの融和や反ヘイトの活動・講演を続けている。モスクに入るだけでヘイトメールを送りつけられたり、一昨年の夏にはたまたま立ち寄ったパブで白人至上主義の男からいきなり後頭部を殴られて大怪我を負ったり、身の危険にもさらされてきた。これまでの道のりは決して平坦ではなかったが、それでも融和を訴え続けるのはなぜか。話を聞いた。

英防衛同盟(EDL)に参加した経緯を教えてください。

ダレン・キャロル氏(以下キャロル氏):当時、(ルートンに住む)人々は雇用や住宅など、様々な問題を抱えていました。その中には、過激思想の者もいました。団体はEDLに名前を変え、その主張は瞬く間に変貌して(過激になり)、全国的に広がって手に負えない状態になってしまったのです。当時の私はとても世間知らずでした。活動を開始して間も無く、団体は(イスラム教徒など)特定の人々を攻撃し始めました。全ての人たちが恩恵を受けられる活動を目指して団体に加入したのですが、そうした一貫した主張ができないのなら、自分には適さないと気が付きました。

当時のルートンはどのような状況だったのですか?

キャロル氏:商店などが立ち行かなくなり、なんとかしなければと感じていました。町は、私が見たことのないほど(さびれた姿に)変わってしまった。コミュニティーの中には、デジタル時代の変革に追いつくことができず、社会に忘れられてしまったと感じていた人々もいました。

 人々が楽観的な生活をし続けるにも限界があります。楽観は不満に変わり、不満は拡大して次第に大きな声となり、問題を抱えていた多くの人々がデモに参加するようになりました。そしてなんらかの「答え」を求めはじめました。

 工場があった時には、移民とも一緒に働き、お互いのことを良く知り合う機会もありました。しかし、工場が閉鎖されると、(相互理解をする機会がなくなり)問題は広がりはじめました。それは(イスラム教徒の)せいではありません。その人たちの文化を知らないからといって、彼らのせいにしてはならないのです。お互いに無関心であることが問題を大きくし、そこに過激派がつけ込んでくるのです。

 「過激派」には、極右もイスラム過激派も含まれます。しかし、彼らを白人労働者階級の、あるいはイスラム社会の代弁者としてはなりません。誰かに不満をなすりつけ、後ろ指をさす行為は、そのコミュニティーを機能不全にします。自らのコミュニティーを破壊し、やがて自分に跳ね返ってくるでしょう。そんな(憎悪の)意識を子供たちに受け継げば、彼らの人生が最も花開く時代に、分断された社会で暮らすことになってしまいます。

キャロルさんが最も訴え続けたいことは、どんなことですか?

キャロル氏:一夜にしてすべての問題が解決するとは言いません。経済的事情など、皆、問題を抱えています。しかし今、人々は一歩踏み出して、発言する機会も、勇気も持てると思います。コミュニティーにポジティブに貢献することを、本当は皆、渇望しているのではないでしょうか。誰も子供たちに、分断した世界に育って欲しいと思わないでしょう。だから私たち一人ひとりが、今こそ発言し始めなければならないのです。

 モスクで話をする時、周囲の人は私のことを「あいつは元EDLだ」と思うかもしれません。でも、誰も傷つけたくないのだというメッセージを届けると、敵意がないとわかってもらえます。握手を求められ「よくやったね」とも声をかけてくれる。社会の「融和」について違った解釈を持っていたとしても、お互いに異なる意見を持つことを理解し、受け入れれば、社会はいい方向に向かっていくはずです。誰も、憎む必要はないのです。

 人々をつなげるには、即効性のある答えはありません。長くかかったとしても、根気よく一貫したメッセージを伝え続けること、そして、そのメッセージが何であれ、憎悪やヘイトスピーチに包まないことです。他者の言い分に聞く耳を持たなければ、双方向の対話を生むことはできません。