平和活動家に転向した元・極右団体構成員の告白
「憎悪」と戦う市民たち~テロ頻発の英国で見た「希望」
ポピュリズムの台頭で、欧米諸国では社会が分断される懸念が高まっている。だが、分断を乗り越えようと活動を続ける人たちもいる。シリーズ~「憎悪」と戦う市民たち~。今回は英国ロンドン近郊の街ルートンで出会った、一人の男性の活動を紹介する。かつては極右団体に所属していたが、一緒に参加していた甥の主張が過激になる中、団体の活動の方向性に疑問を持ち脱退。現在は地元のコミュ二ティーで、自らの経験を踏まえて社会の融和を啓蒙する活動を続けている。
6月19日、ロンドン北部のモスク近くでイスラム教徒にワゴン車が突っ込み、地元の人々は路上で祈りをささげた。容疑者は白人男性だった。(写真:Press Association/アフロ)
英国は今年上半期、4度のテロ攻撃を受けた。3月22日には、国会議事堂周辺で襲撃事件が起きた。2005年7月7日以来、ロンドン市内では実に12年ぶりの大規模な攻撃となった。次いで5月22日には、地方都市マンチェスターのコンサート会場で自爆テロが発生。6月3日には、ロンドン橋付近でワゴン車とナイフを使用した攻撃が起き、この3件はいずれもイスラム過激派に感化されたテロ攻撃として捜査された。
6月19日に起きた4度目の攻撃では、今度はラマダン(断食月)中のイスラム教徒が攻撃の対象となった。容疑者は、ウェールズ出身の47歳の白人の男性で、報道によると4人の子持ちだという。ロンドン橋での事件をまねたのか、ワゴン車でラマダンの礼拝から帰宅の途についていた人たちに突っ込んだ。目撃者の証言によると襲撃直後「イスラム教徒は皆殺しだ!」と叫んでいたという。
逮捕、起訴され同27日に刑務所からビデオリンク方式で出廷した容疑者は、氏名と生年月日の確認に答えただけで、襲撃に及んだ経緯の詳細は明らかになっていない。しかし、前述の通り「イスラム教徒を皆殺し」にすることが目的であったのなら、攻撃はテロ行為であると同時に、イスラム教徒に対するヘイトクライムの最たるものでもある。
折しも襲撃の起きた日の直前の週末は、別の白人の男性によるジョー・コックス元労働党議員殺害事件(「英国の女性議員殺害が問う“憎悪扇動”の大罪」)からちょうど1年であった。社会の多様性や異なる民族の融和を訴え続けたコックス議員の志を継ごうと、英国各地で、地域のお茶会や食事会など、コミュニティーの融和を目指すイベントが10万件以上(主催者発表)開かれていた。その矢先の事件だった。
故コックス議員のように地道な努力で社会の融和を目指す人もいれば、イスラム過激思想であれ、白人至上主義であれ、自分と異なる者を一撃で抹殺しようと融和の努力を踏みにじる者も現れる。暴力や憎しみの連鎖を断ち切るには、一体どうすれば良いのか。突然テロの頻発しだしたロンドンに暮らしながら、途方に暮れることもある。
筆者は4つ目の攻撃現場で、イスラム教徒が犠牲となったフィンスベリー・パークにあるモスクで取材をしたことがある。2015年秋のパリでの大規模なテロ後、ロンドンでもイスラム教徒に対するヘイトクライムが急増し、このモスクも放火未遂にあったからだ。
マンチェスターでは5月の襲撃直後、ヘイトクライムの件数が一時倍増した(警察発表)。BBCによると、イスラム教徒が在籍する学校に爆破予告があったり、ムスリムの銀行員が客から「テロリストは爆破事件の責任を取れ」といった内容の言葉を浴びせられたり、鉄パイプを持った男が差別用語をわめきながらイスラム教徒を追い回したり、様々なヘイトクライムがあったという。
6月3日に発生したロンドン橋付近での攻撃直後も、ロンドン南部のイスラムセンターが「出て行け」と落書きされるといったヘイトクライムが急増。イスラム教徒であるロンドン市長のサディク・カーン氏が、ヘイトクライムに対して断固たる措置を宣言する事態となっていた。
工場閉鎖、移民増加…・・・「ヘイト」に走る社会的背景
こうしたヘイト行為を更に組織的にあおろうとする団体もある。その代表的存在が、トミー・ロビンソン(自称・本名スティーブン・ヤクスリー・レノン)氏(34)がかつて代表を務めていた極右団体、英防衛同盟(EDL)だ。ロビンソン氏は3月のウェストミンスターでのテロの当日、現場となった英議会周辺にいち早く乗り込み、「奴らは我々に戦争をしかけているのだ!」と反イスラム主張を展開した。
昨年2月に筆者のインタビューに応じるロビンソン氏(写真:伏見香名子、以下同)
筆者は去年初め、ロビンソン氏に単独インタビューを行った。ロビンソン氏は「過激派だけに対抗している」と自らの活動を正当化したが、その一方で「(イスラム教は)憎悪や暴力を扇動する。(略)とにかく問題はすべてイスラム教徒のコミュニティーが元凶だ」とも語った。結局、彼がイスラム教徒排斥を主張していることは、多くの人たちに見透かされている。過激な言葉づかいとは裏腹に、カメラを向けていない時はどこかおどおどと落ち着きなく、まっすぐ目を見据えて話ができなかった様子が印象的であった。
ロビンソン氏が極右の活動家に転じた理由は、彼が育った環境を紐解くと見えてくる。出身はロンドン近郊のルートン地区。かつては産業の町として栄え、大手自動車会社の工場などが多くの雇用を生んでいた。古くからアイルランド系やスコットランド系の白人に加え、パキスタンやバングラデシュからの移民も多く、現在では白人、そしてキリスト教徒は少数派となっている。
2013年にロビンソン氏を特集した大手新聞テレグラフの記事によれば、彼が16歳の頃、継父が勤めていた工場の閉鎖に伴いリストラされた。自身は暴力事件を起こしたことで雇用の道を閉ざされ、並行してイスラム教徒への筋違いな憎悪を募らせた様子が記されている。
自らの人生や生活に対する不満を、特定の人々を糾弾するエネルギーに転換する短絡的な思考は、テロに走る若者らと似ている。不満が大きいほど、その不満を代弁してくれる人物を魅力的に感じてその集団に加わり、自分と異なる考えを持つ人々の排除を目指すようになる。
だが、ロビンソン氏らヘイト主義者やテロリストとは異なり、一線を越えず過ちに気付き、自らの人生や社会を好転させようと努力を続ける人々もいる。その一人が、かつてロビンソン氏と共にEDLで活動していたダレン・キャロルさん(52)だ。
実はロビンソン氏は、キャロルさんの実の甥にあたる。キャロルさんは一時、ロビンソン氏と共にEDLに加わっていたが、過激化する活動に疑問を持ち、脱退。現在は社会の融和を訴えることで、分断の危機を克服しようとしている。
前述の通り、ルートンはグローバル化やIT化など産業構造の急速な変化に取り残され、生活に不安や不満を持つ労働者が増えていた。塗装工で装飾業を営むキャロルさんも人々の不安を目の当たりにし、労働者の声を聞いて欲しいと、2009年にEDLの前身にあたる団体で、ロビンソン氏らと共に活動を始めた。
しかし、EDLの活動が当初の目的から徐々に外れ、団体が反イスラム教を主張し始めるなど活動が過激化し始めたことに疑問を持ち、離脱した。極右団体に所属していたことで、仕事の受注が減ったばかりか、EDLからは「裏切り者」と敵視されるようになった。混沌とした生活の中でキャロルさんは数年間沈黙し、その間にイスラム教などについて学び、やがて自分なりに社会の融和を目指して声をあげることを選んだ。
過激な活動と決別した元・極右団体構成員の告白
現在、キャロルさんは地域のコミュニティーセンターやモスク、またソーシャルメディアなどで、コミュニティーの融和や反ヘイトの活動・講演を続けている。モスクに入るだけでヘイトメールを送りつけられたり、一昨年の夏にはたまたま立ち寄ったパブで白人至上主義の男からいきなり後頭部を殴られて大怪我を負ったり、身の危険にもさらされてきた。これまでの道のりは決して平坦ではなかったが、それでも融和を訴え続けるのはなぜか。話を聞いた。
英防衛同盟(EDL)に参加した経緯を教えてください。
ダレン・キャロル氏(以下キャロル氏):当時、(ルートンに住む)人々は雇用や住宅など、様々な問題を抱えていました。その中には、過激思想の者もいました。団体はEDLに名前を変え、その主張は瞬く間に変貌して(過激になり)、全国的に広がって手に負えない状態になってしまったのです。当時の私はとても世間知らずでした。活動を開始して間も無く、団体は(イスラム教徒など)特定の人々を攻撃し始めました。全ての人たちが恩恵を受けられる活動を目指して団体に加入したのですが、そうした一貫した主張ができないのなら、自分には適さないと気が付きました。
当時のルートンはどのような状況だったのですか?
キャロル氏:商店などが立ち行かなくなり、なんとかしなければと感じていました。町は、私が見たことのないほど(さびれた姿に)変わってしまった。コミュニティーの中には、デジタル時代の変革に追いつくことができず、社会に忘れられてしまったと感じていた人々もいました。
人々が楽観的な生活をし続けるにも限界があります。楽観は不満に変わり、不満は拡大して次第に大きな声となり、問題を抱えていた多くの人々がデモに参加するようになりました。そしてなんらかの「答え」を求めはじめました。
工場があった時には、移民とも一緒に働き、お互いのことを良く知り合う機会もありました。しかし、工場が閉鎖されると、(相互理解をする機会がなくなり)問題は広がりはじめました。それは(イスラム教徒の)せいではありません。その人たちの文化を知らないからといって、彼らのせいにしてはならないのです。お互いに無関心であることが問題を大きくし、そこに過激派がつけ込んでくるのです。
「過激派」には、極右もイスラム過激派も含まれます。しかし、彼らを白人労働者階級の、あるいはイスラム社会の代弁者としてはなりません。誰かに不満をなすりつけ、後ろ指をさす行為は、そのコミュニティーを機能不全にします。自らのコミュニティーを破壊し、やがて自分に跳ね返ってくるでしょう。そんな(憎悪の)意識を子供たちに受け継げば、彼らの人生が最も花開く時代に、分断された社会で暮らすことになってしまいます。
キャロルさんが最も訴え続けたいことは、どんなことですか?
キャロル氏:一夜にしてすべての問題が解決するとは言いません。経済的事情など、皆、問題を抱えています。しかし今、人々は一歩踏み出して、発言する機会も、勇気も持てると思います。コミュニティーにポジティブに貢献することを、本当は皆、渇望しているのではないでしょうか。誰も子供たちに、分断した世界に育って欲しいと思わないでしょう。だから私たち一人ひとりが、今こそ発言し始めなければならないのです。
モスクで話をする時、周囲の人は私のことを「あいつは元EDLだ」と思うかもしれません。でも、誰も傷つけたくないのだというメッセージを届けると、敵意がないとわかってもらえます。握手を求められ「よくやったね」とも声をかけてくれる。社会の「融和」について違った解釈を持っていたとしても、お互いに異なる意見を持つことを理解し、受け入れれば、社会はいい方向に向かっていくはずです。誰も、憎む必要はないのです。
人々をつなげるには、即効性のある答えはありません。長くかかったとしても、根気よく一貫したメッセージを伝え続けること、そして、そのメッセージが何であれ、憎悪やヘイトスピーチに包まないことです。他者の言い分に聞く耳を持たなければ、双方向の対話を生むことはできません。
「白人こそ正義だ」と唱える男性に同意しなかったため襲撃されたと聞きました。
キャロル氏:襲撃されたことで、より決意を硬くしました。自分を黙らせることはできないと周囲の人々に示し続け、私自身がポジティブだと感じることを語り続けようと。これを気に入らない人々がいたとしても、続けていきます。恐れはありませんでした。自分の信じる道を貫き、小さな変化を起こし続けようと決めました。
キャロルさん(左)は、ある日、地元のイスラム指導者の息子ダウッド・マスード氏(右)と一緒に地元サッカーチームの試合を観戦した。イスラム教徒とのサッカー観戦は、初めての体験だった。キャロル氏は、「ルートンが点を入れた時、ダウッド(マスードさん)も私も飛び上がりました。皆同じことに歓喜していると気づき、それだけで行った価値があったと思いました。共にルートンを応援する気持ちをサッカー以上のものにできないのだろうか、と。互いに『良い奴じゃないか』と思うことこそが、より大きな答えなのかもしれません」と話す。
憎悪をかき消す「Don’t Look Back In Anger」の大合唱
相次ぐテロとヘイトクライムに苦しむ英国だが、キャロルさんの地道な活動は希望の光だ。そして、そうした小さな希望の光は、英国の大勢の人たちが共有している。
6月3日、リバプールで「英国のイスラム化を阻止せよ」とEDLが行った120人ほどのデモに対し、地元民およそ600人が大音量でコメディ番組のテーマソングをかけ、またジョン・レノンの「イマジン」を大合唱するなどして、EDLの掛け声をかき消した。
マンチェスターでは犠牲者を悼む追悼集会で、人々が自然発生的に人気バンド・オアシスの「Don't Look Back In Anger」を大合唱した。暴力に怒りで応じない、社会の分断を起こさせないという、市民の決意をうかがわせた。
「テロとの戦い」は、圧倒的な軍事力だけを意味しない。憎悪をあおり分断を目論む手には乗らないという、苦しいが、しかし賢い選択を市民はし続けなければならない。英国市民の多くが、社会の分断を狙う悪意に飲み込まれず、冷静な態度を取り続けられるのは、ヘイトクライムの制度的な取り締まりと同時に、キャロルさんのような人たちの地道な活動があるからだと信じてやまない。そうした辛抱強く、決意に満ちた活動には、本当に頭が下がる思いだ。
テロやヘイトに走った若者たちに、こうした大人の声が届かなかったことは心底、残念である。しかし、キャロルさんのような大人がいる社会は、分断に負けないのではないかと希望を持たずにはいられない。同時に、「ヘイトはカッコ悪いよ」と、さらりと、しかし毅然と、未来を担う若者に、伝え続けられる大人であらねばと思う。
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