「大会期間の4週間で五輪は終わり」ではない

なぜ、五輪開催国にとって、こうした活動を継続することが重要なのでしょうか。

ライ氏:納税者や企業など、オリンピック・パラリンピックに投資をする人々は、これが「4週間限定のスポーツ大会」以上のものだと、信じなければなりません。この4週間は素晴らしいものです。人々は、選手たちの偉業達成を目の当たりにすることに興奮します。でも最終的には、大会が何かを遺すことを人々は期待すると思います。

 バルセロナとロンドンの偉業は、打ち捨てられていた地域が、大会によって再開発されたことでしょう。他方、大会は喜びに満ちた期間であるため、その精神、「スピリット」を継続することも人々は望んでいます。社会的レガシーはオプションや付録なのではなく、必要不可欠なものであると考えます。

東京もロンドンもいわば成熟都市であり、インフラの構築が必要だったアテネや他都市とは異なります。有形ではなく、無形のレガシーは、どのくらい重要だと考えられますか?

ライ氏:非常に重要だと思います。本当は、目に見えない憎悪や疑念が渦巻いていると言う悲観的な状況があったとしても、2012年ロンドン大会で、人々の目は開かれたのです。そのことを、英国の人々は忘れないでしょう。異文化や外国の友人を作ったことを、忘れはしません。またパラリンピックは、障害を持つ人々に対する見解を変える非常に重要な大会でした。

 このことは、世界を歓迎する心と共に、これからずっと受け継がれていきます。人生は厳しく困難なだけではありません。「楽しむこと」を祝うものでもあります。スポーツやアートはまさに「楽しむこと」であり、過小評価されるべきものではありません。「おまけ」ではないのです。人間のアイデンティティの基盤と「幸せ」にとって、なくてはならないものです。

「幸せ」は重要なのですね。

ライ氏:もちろん大切です!惨めな社会になど、誰も暮らしたくはないでしょう?

今東京開催に関しては、五輪は費用の無駄だ、など、悲観論が渦巻いています。

ライ氏: 2010年頃の英国の各タブロイド紙の見出しを見れば、まったく同じものが見つかるでしょう。交通網はダメになり、会場建設は間に合わない、ロンドンの納税者の税金が浪費されている、など。こうした見方は、いずれ変わります。開幕が近づき、世界が日本のドアをノックし始めたら、社会に一体感が生じます。そして、人々は世界を歓待するでしょう。

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 スピリットとライ氏の次なる目標は、欧州連合(EU)離脱投票でまたも分断が生じた英国社会をつなげていくことだ。悲観しないのか、という問いに、「厳しい状況だが、長い歴史の中ではこうした浮き沈みもあるものだ」と今後の活動に一層燃えていた。

 2012年・ロンドン大会を基に、オリンピック・パラリンピックのレガシーを考えるシリーズは、今回でひとまず終了する。本シリーズは、2016年10月10日に放送されたNHKスペシャル「レガシー・未来に何を残すのか」の取材で出会った人たちのインタビューを軸に構成した。

 テレビの取材中、番組を担当したNHKの大越健介・記者主幹らと「幸せって、なんだろうね」という会話をした。シリーズ最初にも記した通り、「インスパイア・魂に火を灯す」とは、大越氏が初めに提唱したものだ。番組とこのシリーズでは2012年大会で「魂に火の灯った人々」を追ったが、ボランティアや聖火ランナーとして参加した若者らはもちろん、プロフェッショナルとして五輪に携わった大人たちも「大会に関わったことの幸せ」に言及していた。

 五輪開催にあたり、建前を取り繕うことに躍起になるのではなく、様々な歪みや亀裂の生じた自国の社会を、未来を見据え、五輪を契機により良く、より幸せにするチャンスと捉えて有効活用したロンドンの試みは、したたかでもあり、また賢い選択であったとも思えてくる。筆者も実は東京五輪決定当初、福島を置き去りにした開催などに賛同できないと憤っていたが、大越氏の「やると決まったからには、良い大会を」との言葉と、ロンドン大会が遺したレガシーの数々や、未だに魂に火の灯っている人たちと出会い、深く納得した。

 次の五輪開催都市である東京は、テクノロジーや生活水準の面では疑いようのない成熟都市である。しかし一方で、「幸せ」は置き去りにされてはいないだろうか。今回の記事中、終盤でわざわざ「幸せの重要度」についてライ氏に聞いたのは、今の日本、特に東京という社会がどのくらい「幸せ」を重視しているか、筆者自身が疑問に感じているからだ。

 シリーズ中、同じ証言が何度もあったが、ロンドンでは地下鉄内など街中で、見知らぬ人たち同士が突然何の脈絡もない会話を始めることは、日常茶飯事である。言われてみれば、確かに五輪開催後、この傾向が強くなったような気もする。

 老朽化した地下鉄網にエスカレーターがない駅が多いが、スーツケース片手に階段を上っていると、必ずと言って良いほど、どこからともなく手助けをしてくれる人が現れ、同じように去っていく。大抵手を差し伸べてくれるのは男性だが、ある時、女性が助けてくれようとするので遠慮すると「私も、いつも助けてもらうから」と、カバンを持ってくれた事もある。

 たまに東京に帰ると、ロンドンとは比べものにならない、きめ細やかなサービスや接客に感心する反面、ロンドンで体感する些細な日常のふれあいが少なく、心底寂しい気持ちになる。

 筆者は70年代の東京で育った。私の育った東京にはまだ「知らない人同士」の間に通じる暖かさがあった。日本人の「心」が全て、失われてしまったはずはない。

 五輪には世界各地から、多様な人々がやってくる。小手先の「おもてなし」ではない、人間同士の真剣なコミュニケーションが必須となる。その時「ホスト」である私たちは、きちんと世界の客人を、日本人の持つ優しさで、もてなすことができるのだろうか。

 見知らぬ人同士のふれあいであれ、魂に火を灯して何かに熱中することであれ、五輪開催は、ある種の閉塞感を打ち破る、格好のチャンスであるのかもしれない。気恥ずかしい気持ちがあることは、日本人的な気質からよく理解できるが、五輪を「ちょっとだけ熱くなる言い訳」にしても良いのでは無いだろうか。

 テレビ取材では、五輪開催が決定した直後の2005年7月7日に発生した、ロンドン同時爆破テロにより、両足を失った女性も取材した。女性は、想像を絶するリハビリの末、2012年大会ではシッティング・バレーの選手としてパラリンピックに出場。去年のリオ大会では、英民放テレビ局チャンネル4のスポーツ・リポーターとして再度、五輪に参加していた。

 「次の大会を担う日本へのアドバイスは?」と彼女に問うと、「あなたたちの国を、築いてください」とメッセージをくれた。五輪にまつわる負の側面にこだわり、素知らぬ顔をするのは簡単だ。しかし、大会を一つの契機に、社会全体、あるいは個々人が、一段階何かのステップを上がることは、五輪にかかる経費の有効な活用法ではないかと考える。