北朝鮮による拉致被害者、曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンス氏が先月亡くなった。ジェンキンス氏は1965年に、在韓米軍から北朝鮮へ脱走した、元米兵だった。脱走兵4人を追ったドキュメンタリーを北朝鮮で制作した英国人監督、ダニエル・ゴードン氏はこれ以外にも、サッカー元北朝鮮代表や、平壌に暮らす少女らの生活を描いた2本の作品で注目を集めた。世界から孤立する北朝鮮を描き続けた理由は何か。前編ではジェンキンス氏との北朝鮮での対面の様子を話してもらった。後編は、平壌を描き続けた意図を中心に聞く。

ゴードン監督はスポーツが専門ですが、北朝鮮への脱走兵を描いた「クロッシング・ザ・ライン」は全く異なるタイプのドキュメンタリーですね。

ダニエル・ゴードン監督(以下ゴードン監督):私は歴史と政治に、非常に大きな魅力を感じています。普段はスポーツを絡めて作りますが、もう一つ、人々がおかれている状況にも興味があります。人の状況と歴史・政治という意味では、北朝鮮に米兵が脱走したという題材は衝撃的な内容でした。北朝鮮で元米兵らに会うチャンスでもありました。私は彼ら4人全員の出身地を訪ね、幼馴染や、存命であれば家族にも会い、韓国側の国境付近で、当時彼らとともに駐留していた米軍関係者にも会いました。

3作全てにおいて、平壌の日常を描こうとしていますね。「クロッシング・ザ・ライン」には、(脱走兵の1人)ドレズノク氏が街の人と魚釣りをする場面があります。

ゴードン監督:いつもの(釣りの)場所へ行くと、人々が彼を知っているのです。「やあ、しばらくだね」と声を掛け合っていました。彼には北に根ざした生活があることがわかりました。酒を好むことが明らかでしたし、有名であることも明白でした。何より、彼自身が有名であることを好んでいたことがはっきりわかりました。

「ヒョンスンの放課後」では、冬のさなかに川岸でトランプをしている人たちを撮影しました。とても高齢で歯がなく、だらしない格好をしたお年寄りたちで、なんとか冬を乗り越えているといった様相でした。

平壌の映画祭であのシーンが上映されると、観客が笑うのです。映画はコメディではありませんから、不思議に思いました。すると通訳が「あれが現実だから、みんな笑っているのです」と教えてくれました。本当の平壌の姿は、現地制作の映画には絶対現れません、すべてプロパガンダですから。みんなあの川岸でトランプをしている人たちは、高齢で歯がないことを知っています。しかし、もし北朝鮮が制作したドキュメンタリーならば、実際の人たちではなく「完璧」な高齢の俳優が登場し、トランプをしていたことでしょう。人々が「現実」をテレビで見たことがない状況には、とても考えさせられました。

後の2作品に関しては、最初の実績から制作は比較的楽だったかもしれませんが、1作目を作るまでに、どれくらいの労力と時間を費やしましたか。

ゴードン監督:それまでの私の作品や著作などを送り、関係各者に会いに北に行き、交渉し、すべてに4年かかりました。ただ、その4年の間に、韓国では故・金大中氏が政権を取ったことで「太陽政策」にシフトし、日本側からも北に対する歩み寄りが見られ、EU(欧州連合)も公式に対話路線を取り、英国では(平壌に)大使館開設の動きがありました。

北朝鮮へのアクセスを得るには、願ってもないタイミングだったことは確かです。意図的にこのタイミングを計ったわけではなく、私たちの制作と同時進行して、こうしたことが起こっていたのです。

一度、北朝鮮に入ってしまうと、信頼を得ることができました。私は当時、自らもプレーするサッカーファンでしたから、先方は、何か別の意図があって入ってきたのではないことを承知していました。元選手たちに会った時、私は彼ら一人ひとりの記録やポジションなど、とにかくすべてを把握していたので、私が純粋に1966年W杯当時の、北朝鮮チームの大ファンだったことが伝わったのだと思います。

同時に、彼らは私が特に国そのものの「大ファン」ではないことも知っていました。私はサッカーの映画を作りに行ったのです。サッカーの素晴らしいところは、国々をつなぐことです。どの国の人でも、政治的にどんな思想があったとしても、社会的にどんな違いがあったとしても、互いにサッカーをすることはできます。北朝鮮にアクセスできたことは、(これまであった様々な壁を壊したという)良い意味で「破壊の嵐」となりました。