オンライン上にある膨大な個人情報を不正に流用し、選挙や国民投票などの民主プロセスを歪めたとされる英データ分析会社・ケンブリッジ・アナリティカ社(以下CA社・後に破産)。
CA社に対し、ユーザーの同意も得ず情報を流したフェイスブック(以下FB)は12月に米政府から提訴されるなど、一連の騒動でまたも株価が急落した。CA社の元社員らによる内部告発が最初に報じられたのは18年3月だが(参考:フェイスブック騒動、驚愕の「デジタル情報戦」)、FBは未だ激震に見舞われ続けている。
その時から、私はターゲット広告によって民主プロセスが歪められた事象を追い続けた。取材を通じ、最も危険だと感じるのは、ターゲット広告の有効性を高めるため、それらが意図的に人々の感情に訴えかけるよう作成されていることであり、多くの場合、それが人々の怒りや不安の感情であることだ。
英国でEU離脱を問う国民投票が実施された2016年以来、英社会には間違いなく離脱派・残留派の間に、癒しがたい分断の爪痕が残っている。離脱の行方は全く見えず、政治も社会・経済も混迷し、さまよい続けている。しかし、私が更に深刻だと感じるのは、勝つために多額の資金を投じて行われた、デジタルを含む、なりふり構わぬ政治キャンペーンや、主流メディアの表層的な報道によって生じた、人々の互いに対する疑念や不信感である。
本来、政治的な意見は民主主義国家において個々人が自由に持てるはずだ。それが故意に他者を傷つけるものでないならば、ある一つの見方を糾弾したり、異なる価値観を持つ人々を迫害してはならない。しかし、現在離脱派は「無知な人種差別主義者」、残留派は「無責任な夢想主義者」とレッテルを貼られ、双方に歩み寄りの姿勢は見られない。
こうした怒りや不安の感情をあおり立てた先に何が待つのか。科学的な立証は困難だが、EU離脱を問う国民投票では、移民や難民へのヘイトを駆使した離脱派による苛烈なキャンペーンのさなか、投票の数日前、野党労働党の女性議員が白昼、白人至上主義の男に暴殺されている。(参考:「英国の女性議員殺害が問う“憎悪扇動”の大罪」)
日本でも昨今、右派だ左派だと、不毛な対立の構図が拡大している。すでに亀裂の起きている社会において次なる分断の火種は、現政権が悲願とする、改憲に向けた国民投票ではないだろうか。
こうした心情に、更に互いに対するヘイトを駆使したターゲット広告や偽情報が拡散した場合、人によっては癒しがたい傷が、怒りや不安として残ってしまう可能性は否定できない。それは、英国においてのEU離脱、米国でのトランプ大統領の選出プロセスを見れば明らかだ。
CA社は人々にこうした感情を植え付け、民主プロセスを利益目的で操ることで、巨額の富を得た。社会に深刻な分断を招き、そのために排他的な暴言や、いわれのないヘイトによって人々が心に傷を負うだけでなく、命を落とした人が仮にいたとしても、彼らは血で染まった金を手にし、何ら責任を負うことはない。
私がこの取材を続けるのは、日本の国民投票が念頭にあることを告げると、一線でこの問題に取り組み続ける英国の専門家らは口々に「今ならまだ間に合う」「日本に米英と同じ轍を踏んでほしくない」と取材に対し、惜しみない協力をしてくれた。
ある感情を逆なでするような情報や広告が流れてきたならば、なぜその情報が自分の元に流されてきたのか、激情にのまれる前に立ち止まって考える自衛策が、まずは不可欠だろう。
一方、元CA社の内部告発者、クリストファー・ワイリー氏は、個人の力だけでは防ぎきれない膨大な量の情報操作に対峙するため、規制や国際的な枠組みが急務だと言う。FBをはじめとするプラットフォームの責任や、改憲に関する国民投票などについて、引き続き、ワイリー氏の見解を聞いた。
ロシアは米英、日本の規制を遵守する必要がない
政治的なキャンペーンにおいて、現状デジタル広告を巡る環境は「無法地帯」とも言えます。だからこそ、規制が必要なのですね。
クリストファー・ワイリー氏(以下ワイリー氏):規制は不可欠です。交流サイト(SNS)のプラットフォームにはより透明性を持たせ、こうしたキャンペーンを止めることをより容易にする運営を行わせるべきでしょう。
しかし、法律は基本的に、非合法組織を止めることはできません。あなたを攻撃するのが、敵対する外国の国家であろうが、法を尊重しない、国内の犯罪組織であろうが、新しい規制が必ずしも助けになるとは限りません。
SNSのプラットフォームが、より責任を持ち、良い企業市民であるための規制には賛成です。彼らには、ビジネスを運営するためにも、民主主義を守り、果たすべき役割があるのですから。ビジネスを運営する基盤は社会であり、彼らは社会を尊重すべきです。そのための規制は必要です。しかし同時に、現在起きている情報攻撃を監督し、防止する機関や組織も必要だと思います。
規制を設けることはできますが、ロシアには米英、それに、日本の規制を遵守する義務はありません。軍隊も、規制の存在など気にもとめず、敵とみなせば攻撃を仕掛けるでしょう。ですから、機関としてより効果的に反撃・防衛し、同時に、自衛に効果的な計画も作らねばなりません。
これまで私が見てきた中で、一致団結してこの問題に取り組んでいるのは、最近選挙を実施したスウェーデンだけです。民間防衛機関が、自然災害やテロのみならず、敵対する外国勢力による広域の情報攻撃についても主導的役割を果たしました。多くの国が、こうしたことを検討すべきだと思います。
人々はこの戦争に、勝てるのでしょうか。
ワイリー氏:勝敗が決まり、その後何も起こらない、という事象ではないと感じます。これは高度に人々が繋がり、デジタル化された現代社会の新しい現実なのでしょう。
インターネットが社会生活を営む上での基盤となった結果だと思います。他の技術革新と同じように、インターネットやSNSによる恩恵は多い反面、同時にリスクももたらしているということです。まずこのリスクから社会を守らないことには、恩恵を享受できません。
「情報戦争」は終わらないでしょう。プロパガンダは数世紀に渡り存在し、新しいことではありません。今はそれが、「サイバー空間」という新しい戦場で展開されています。政府や人々は、実社会とサイバー空間に「現実」という意味で、差異はないことを理解しなければなりません。
実社会だからといって「サイバー空間よりもリアルだ」ということではないのです。サイバー空間もリアルな空間です。実社会に影響を及ぼします。この事が人々の生活における、新しい次元であることを認識すべきです。人々にとっての安全性を確保し、攻撃から守る必要があります。
シリコンバレーや巨大広告企業は、こうした危険を気にもとめていないということでしょうか。
ワイリー氏:これまでのところ、気にしているとは思えません。彼らが最も気にかけているのは、利益でしょう。それと、自分たちに対する評価です。CA社についての報道がなされてから、FBの株価は2回急落しました。(注:インタビュー当時の10月時点で)1回目はFB史上最大、2回目は時価総額で米企業史上最大の下落額と言われています。
人々が、社会や民主主義の公正性を大切にしていることは、明白です。人々は、他国の軍による偽の、または操作された情報の標的になりたいと思っていませんし、そんな事は常識です。
問題は、シリコンバレー企業の多くが、自分たちがビジネスを行うために必要とする社会において、良い企業市民としての役割を果たしていない事です。FBは道徳的な責任を負っていますが、同時に、米国とその民主主義が機能不全に陥ってしまえば、自分たちもビジネスを行えなくなってしまいます。
シリコンバレーはいくつかのことを学ぶ必要があります。まず、ジャーナリストや市民社会、内部告発者から批判を受けたのなら、安全面の欠陥を通報する「ホワイト・ハッカー」同様に扱うべきだと言うこと。その事に報酬を与え、感謝すべきです。
また、誰かが問題を指摘した場合、その事を、より良い商品開発のための、良い機会だと捉える事です。問題を長引かせて告発を否定し、脅迫するなどという、FBがこの問題を通じて行ったことをすべきではありません。
フェイスブックは他の産業から学ぶべき
FBは他の産業から学ぶべきです。例えば、自動車業界はシートベルト設置について、コストがかかるため、「人々には選択の自由がある」「自動車事故が起こることを想起させ、売り上げに影響する」などと言って、長く拒み続けました。現在では標準装備されていますし、シートベルトなしに車に乗る人は誰もいません。
シートベルトは自動車産業を傷つけてはいませんし、人々は自動車購入をやめてはいません。自動車は、シートベルトやエアバッグの装備によって、以前に比べ多少価格が上がっているかもしれません。しかし、それによって事故死する人の数は減少しているはずですし、安全性に安心した購買者は、車を買い続けるでしょう。
つまり、シリコンバレーはまず第一に、安全性の確保は絶対に譲れないものであること、そして、その事は、彼らにとっての「問題」ではないことを認識すべきです。より安全な商品を作ることがより安全な産業に繋がり、長期的には、人々はその商品を使い続けます。
民主プロセスを破壊する、あるいは、人々を操作し、社会の団結を壊す目的の商品を作り続けるのならば、いつか人々は商品を見限り、利用を止めるでしょう。産業としての長期的な存続は、商品と、消費者の安全性の確保にかかっています。
また、ユーザーはユーザーとして尊重されるべきで、「企業側が利用する者」として、軽視されるべきではありません。私は、現在のシリコンバレーの対応は問題だと思います。さらに、米国外で暮らしている人たちとってより問題だと思うのは、私たちがオンライン上の「社会のクローン」を作ったことです。
そのクローン、つまり、デジタルのあなたやその友人が交流するサイバー空間に責任を負うべき企業が、あなたの国の司法権が及ばない国に存在していることです。私たちは「社会のクローン」を、私たちの法律を尊重しなくても良い、米国の企業に譲渡しているのです。
サイバー空間が民主主義だけでなく、私たちの法律とどう関わるのか、真剣に考えるべき時です。各国の空港には、それを3つのアルファベットで示す、国際基準が定められています。なぜインターネット上の公開に適したものと、そうでないものや、それをどう規制して行くのかという、(空港表記と)同じような国際的な枠組みが存在しないのでしょうか。
各国がインターネットを、何か真新しいものではなく、リアルなもの、経済や社会、民主主義を支え、人々の仕事の中心的・基本的なものとして認識し始めている昨今、最低でも空港表記と同様の国際条約が検討されるべきでしょう。
日本の現政権は、改憲に関する国民投票を検討していますが、国民投票法において、広告に関する資金投入の上限も、デジタル広告に関する規制もありません。このことは、危険だとお考えですか。
ワイリー氏:日本が学べる例は、いくつか存在すると思います。まず明確なのは、英国が行ったEU離脱に関する国民投票です。この国民投票に関する法的枠組みは、後に現実のものとなったあらゆる問題を全く想定していませんでした。
偽情報に関するプログラム、データの利用、サイバー広告、SNSプラットフォーム上における透明性などです。その全てにおいて、あらゆる脆弱性が、食い物にされました。
日本は特別な立場にあります。オンライン上の「インフルエンス・オペレーション」において、高度な能力を有する数多くの国々のすぐそばに位置しているからです。北にはロシアがあり(北方領土に関する)対立が起きています。中国、そして北朝鮮と韓国など、日本の政治に介入しようと試みる国々に囲まれてもいます。
また、他国だけではなく、例えば9条改正に関連し、国民投票によって利益をあげようと目論む軍事請負企業、武器システムなどがあるとします。こうした既得権益は、(規制など)彼らを止めるものが何もなければ、人々を(広告で)標的にし、有権者をあざむくために使えるだけの資金を投じるでしょう。
英国居住者としての見解ですが、少なくとも私は英国の民主主義が、今や立証された事実ですが「違法にだまし取られた」様を目の当たりにしました。違法行為を行ったキャンペーン団体が罰金を課されただけで、何の軌道修正もされず、国民投票の結果は有効で、英国のEU離脱は現実のものとなっています。
日本にとって、積極的、または受動的に軍事紛争に関わるのか否か、日本人であることの根本を問うような決断を行う場合、ある意思を持って行動する既得権益が存在するのなら、彼らの目論見は実現するでしょう。それが敵対する外国勢力であろうと、非道な企業であろうとも。既存の大手企業であったとしても、逃げ切れると判断すれば、実行するでしょう。
選挙がハッキングに遭うとは誰も想像せず
日本は、世界で最も「つながって」いる社会です。一人当たりのソーシャル・プロファイリング、インターネット、電子メール、テキストメッセージや携帯電話など、全ての「つながり」が、最も高い国です。つまり、日本人は他国の人々よりも多くサイバー空間に暮らし、米国や欧州よりもデジタル・テクノロジーに繋がっています。
このことは、多くの「クールなテクノロジー」を生むという面で素晴らしいことですが、同時にリスクも生んでいます。テクノロジーによって最も繋がっているのに、全く無防備です。その上、国の根本を問うような課題があり、その答えから利益を得ようとしている人たちがいるのなら、ありとあらゆる危険な計画が実行される事でしょう。
これほど重大な事項に関して、日本がどう監視・監督、また防衛し、いかにして英国のEU離脱のような問題を防止するかを考えることは、賢明でしょう。
英国での経験から言えることはこうです。問題が起きたことは証明でき、英選挙管理委員会が私や、その他の人たちの申し立てを認めました。情報コミッショナーが、違法行為が起きたことを記す証拠を入手し、悪意を持った者らの存在を突き止めました。それにも関わらず、国の行方を恒久的に変えてしまった問題の核である「国民投票の結果」は変わらないのです。
当局には、結果を覆すだけの権限が与えられていません。英国のEU離脱を問う国民投票における最大の法的な欠陥は、組織的な不正行為が起きた場合や、詐欺的行為、意図的な操作行為、敵対する外国勢力からの介入に対応する術がなかったことです。
こんなことが起きるとは予想だにしていませんでしたし、可能だとも思われていませんでした。選挙や国民投票がハッキングに遭うことなど、誰も想像もしていませんでした。日本がその根本に関わる決断を行うのなら、国民投票の実施などより以前に、悪意を持った何者かが、結果に影響を及ぼすことのできない枠組みを作ることです。
英国では、与党議員でありながら、民主主義を守ろうと、この問題に尽力しているコリンズ・デジタル・文化・メディア・スポーツ特別委員会委員長(参考:「フェイスブックが『偽情報拡散』のツケを払う日」)のような政治家が存在します。一方で日本の現政権は改憲が目的であり、更にはそれを可能にできる巨大広告企業も存在します。
ワイリー氏:日本のメディアは大きな影響力を持つ、わずかなキー・プレイヤーによって独占されています。メディア市場に多様性が存在せず、その事だけでも危険です。この中の一つの組織だけでも堕落すれば、大きな問題が起きるでしょう。
世界は少数者に権力が集中する独裁状態に向かっているのでしょうか。
ワイリー氏:そうとも言い切れませんが、既得権益を持つ何者か、または、敵対する国によって、票が絶対に影響されないよう対策を講じなければ、長期的な視点から見れば、選挙を実施すること事態の有効性が問われるでしょう。
民主主義が機能するためには、人々が自由に、そして、事実に基づいた情報を得た上で判断を下せることを尊重せねばなりません。敵対する外国が、あなたの国を助けるどころか、破壊する目的で歪めた現実を広めることがあってはなりません。このことを許してしまっては、選挙を実施する意味はなく、選挙は単に「意味のない、手の込んだパフォーマンス」に成り下がってしまいます。
内部告発者を英雄視する西側諸国
世界が独裁状態に向かっているのではありませんが、選挙の公正性が保てなければ、政府の公正性も、ビジネスの公正性も保てません。社会は腐敗で充満し、機能不全に陥った国家が誕生する事でしょう。
選挙の重要性は、そこにあります。一定期間に一度、投票用紙に判断を記入し、時には行列に何時間も並ばされて、うんざりすることもありますが、このことこそが、私たちの社会運営の根本です。
選挙は、守るべき最も重要なものの一つであると私は考えています。投じられる限り全ての資源を投入するべきでしょう。民主プロセスを守るためには、一切の疑問も受け付けるべきではありません。民主主義が崩壊すれば、社会全体も崩壊します。
私は取材者として「内部告発者」の取材ほど、細心の注意が必要なものはないと考えている。西側諸国でWhistle Blowerと呼ばれる内部告発者の証言は、その告発内容が衝撃的であればあるほど、一時的であれ、社会は彼らを「英雄」として祭り上げ、惜しみない賞賛を送る。
しかし、幾人かの内部告発者が、その後不可解な行動に転じていることもまた、見過ごすことはできない。未だロンドンのエクアドル大使館に立て籠もり続けるウィキリークス創設者のジュリアン・アサンジ氏然り、ロシアに亡命した、エドワード・スノーデン氏然りである。
事象の全容がわからない早い時点で、むやみに内部告発者をもてはやす事はできないし、すべきでもないと私は考えている。
「内部告発者」への取材に二の足を踏む私が、ワイリー氏の取材を敢行したのは、彼がメディアに露出し始めた当初、画面を通して得た印象が大きい。
数カ月に渡るコンタクトの後、実際に対面したワイリー氏は、その印象と寸分違(たが)わなかった。前述の内部告発者らから感じた、情報開示の際の「影」の様なものを、彼からは微塵も感じなかった。
このことは、何ら根拠のない、単なる取材者としての勘のようなものでしかない。また実際は、ワイリー氏には彼なりの目論見があるのかもしれない。しかし、数度の取材を通じて話した彼から悲壮感は全く感じられず、常に、無法地帯と化したサイバー空間と、自分が作り出してしまった「怪物」と闘い続ける、前向きな意志がまっすぐに伝わってくる。隠し立てすること、やましさの無いことの証明でもあるかの様に、衝撃的な体験を屈託なく語り、明るい。
ワイリー氏が対峙してきたのはロシアという大国や、米政権の元幹部らや富豪、そして英国の資産家らでもある。しかし、未だ30歳にも満たないワイリー氏はひるむことなく巨大な権力と対峙し続け、各国政府のアドバイザーを務めたり、欧州委員会をはじめとする国際機関などで講演するなど、絶えず世界を駆け巡り、この問題に取り組み続けている。氏の行動力、志と勇気に敬意を評したい。
ワイリー氏は12月1日付で、アパレル大手ヘネス・アンド・マウリッツ(H&M)のリサーチ・ディレクターに就任した。データ・サイエンティストとしての手腕を買われ、今後は同社でAIを駆使した持続可能性を追求して行くのだという。内部告発者として政府機関などと敵対し、また、自らが働いていた企業に都合の悪い真実を暴露した過去のあるワイリー氏を、世界的な大手企業が堂々と迎え入れたことに、欧州の懐の深さを感じる。
11月に行われたBusiness of Fashionイベントで講演するワイリー氏。ファッション・ブランドの好みを知ることで、人々の政治的な傾向がデータ解析できる現状などを話した。
ワイリー氏の取材を通じて幾度となく自問したことがある。一連のCA社事件に類似する事象が仮に日本で起きていたとしたら、ワイリー氏が行ったような内部告発は、可能だっただろうか。
権力者にとって都合の悪い真実を暴くという意味では、最近の日本では、森友・加計問題がCA社事件に相当するのではないだろうか。これまでに日本では、「都合の悪い真実」を伝えようとした人々がその後どの様な仕打ちを受けてきたか。ワイリー氏の内部告発後の状況とは、真逆である。
残念ながら日本は現在、政権にとって都合の悪い事実を伝えようとした告発者が、告発の数日前、大手新聞により人格をおとしめられるような記事を掲載され、その後も政治家から嫌がらせを受けることがまかり通る社会だ。
また、生命の危険を顧みず、社会に貢献するためリスクを冒し、取材を続けるジャーナリストを「自己責任」などという、稚拙で卑怯な言葉で切り捨てることがまかり通る「見て見ぬ振りを是とする社会」でもある。
この現状では、ワイリー氏のような内部告発や、米英のジャーナリストらが必死に行ってきた、権力者の横暴を食い止めるための攻防は、日本では期待できないだろう。
ワイリー氏に「あなたが公の場で告発を行った18年3月、日本では自らの命を絶ち、権力者の不正を伝えた『告発者』の存在があった」と話すと、真剣な眼差しを向けていた。
米英、そしてワイリー氏が生まれたカナダでは、民主主義を「自分たちの責任」として捉え、考え抜き、戦い続ける市民が多数存在し、それを支援する社会の声が時に大きなうねりとなることに、羨望の念を禁じ得ない。
日本は、自分たちの未来に責任を持てるのか。
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