幸せとは「懸命に努力すること」

なぜこのNPOに参加しようと思ったのですか?

ブラウン氏:2つ理由があったと思います。このNPOは五輪の後に設立されました。「五輪のスピリットを受け継いでいこう」という設立の精神に強く惹かれました。絶対にこれをやりたい、と感じたのです。とても共感し、自分には貢献ができることがあると感じました。単なる「仕事」ではなく、意義があると感じました。

 言葉にするのは難しいのですが、「幸福感」は良い表現だと思います。私はこうしたプロジェクトに様々な形で8年ほど携わってきましたが、今の職場「スピリット・オブ・2012」は「幸福に投資する」ことが目的です。これこそが、一番重要なことだと思います。

 英国で「幸せ」というと、私もそうですが、多くの人たちが黄色い円の中に書かれたスマイルを思い浮かべると思います。「幸せ」とは雲のようにふわふわしていると思われがちですが、私自身は、ふわふわしたものではなく、困難の中をもがいて、その中で、ある決意を持ち、他の人たちからインスピレーションを得て、懸命に努力することだと思います。自分で達成するもの、そして、他者とつながることなのです。

五輪当時、ご自身はとても困難な時期を過ごしていたと聞きました。

ブラウン氏:2012年までの間、まだ大学生でしたが、学校で一生懸命プロジェクトをやっていて、資金を投じすぎてしまい、金銭的にとても大きな困難に直面しました。商業的なプロジェクトではなく、収入がありませんでした。純粋に、自分の信じていたプロジェクトを遂行していたのですが、3年やっていたら、多額のカード負債を抱えてしまいました。とても世間知らずだったのだと思います。

 例えば、イベントのためのコストですが、100人以上のボランティアが関わっていたので、参加者の交通費を自腹で支払ったりしていました。ところどころ資金ももらっていたのですが、ほとんど自分で賄っていました。だんだんに、ゆっくりとではあっても、それが山積していったのです。多額の負債を抱えてしまいました。とても辛かったです。

 おかしなことに、聖火ランナーとして走者となった日が、大学生活最後の日でした。同日、リバプールで大きなパフォーマンスの予定もありました。「ホワイト・ライト」という曲に乗って、ダンサーやシンガーたちが「人々をつなぐ」というテーマの下、みんな様々な色の衣装を着て、だんだん「白い光」を作るというものでした。

 これをプロデュースし、振り付けもしたのですが、地元サウスポートで聖火ランナーをやり、同日リバプールへ飛んで行って、老いも若きもこの「ホワイト・ライト」を演じる姿を見に行きました。その日がすべてのクライマックスで、大学生活も、バルーン・プロジェクトも、終わったのです。

 すごい、と思いつつ、金銭的な安定をまったく考えていなかったことに気づきました。家賃を払うこともできませんでした。でも、おかしなことに、突然このプロジェクトが色々な賞を取り、女王からも賞をいただきました。ポール・マッカートニーさんからも、国内の色々な賞も受賞した。聖火ランナーにもなれた。人々は皆、僕が金銭的な大成功を収めたと思っていたようですが、ある日、もうこれ以上できない、と、絶望してしまいました。とても困難な体験で、本当に、辛かった。そこで、ちょっと立ち止まりました。

五輪が救いに?

ブラウン氏:そうですね。五輪のおかげで今の自分があると思っています。五輪に通じる「決意」や「勇気」など、そうした価値観についての曲も書きました。当時は両親の離婚など、色々なことが起きましたが、様々なことにフォーカスしながら、その周りで創造力を養うことが、困難な中でも癒しにもなりました。今でもこのことが人生のよりどころだと感じています。今はとても良い気分でいますよ。

メディアもマイナス面ばかりに注目していた

社会によりつながりを感じ、より貢献したいと感じたのでしょうか?

ブラウン氏:そうですね。とても「つながり」を感じました。自分が、自分以上の大きなものの一部であることを認識しました。社会の中で孤立し、社会に怒りを感じることは、簡単にできることです。でも、その中で、他者とのつながりを感じることや、参加することは大切です。私は当初、大会に直接関わりのないことから始めました。五輪の価値観にインスピレーションを感じ、そこからアートの創造を始めました。それが五輪公式プログラムの一部となり、そこで「つながり」を感じました。

 聖火リレーでも、つながりを感じました。いまでもそのつながりは感じています。数多くの国籍、いろいろな背景、宗教の人たちに出会いました。多様な人たちと出会うことが、つながりをより強く感じさせるのです。

東京では今、会場の建設問題など、山積する問題にうんざりした多くの人たちが「五輪なんてやらなくても良い」と感じています。あなたは、なぜ五輪に希望を持ち続けることができたのでしょうか?

ブラウン氏:姿勢として、プラスの側面に注目していたからだと思います。私は五輪の価値について考えるプロジェクトを立ち上げていました。ロンドン大会に関しては、例えば多額の資金投入や、交通網への混乱など、マイナスの側面が声高に叫ばれていて、マイナス面ばかりに注目する風潮がメディアにもありました。

 マイナスな気持ちでいても良いのですが、スポーツやアートによって、ものすごい数の人たちが一つになる大会です。プラスの側面も、数多くあるのです。不満を言えばきりがありませんが、良い側面もある。私は、自分が愛する音楽を通じてポジティブに関わっていました。このことで、幻滅に溺れずにいられたのだと思います。

 特にメディアに関していうと、一度ネガティブに焦点を当てたら、さらにネガティブ、ネガティブと続けていましたが、聖火リレーが始まったところから変化が起こり出しました。途端にみんなが支援に回り、マイナス思考だった人たちがプラスに転じたりするなど、とても興味深かったです。