劇中、最初の上陸の際には官僚が「自分の担当ではない」と仕事をたらいまわしにするシーンがありました。一方で、2回目の上陸時には『巨災対(巨大不明生物特設災害対策本部)』を中心に、自分の領域を超えてチームワークを発揮する組織が活躍します。どのような変革があったのでしょうか。
加島:まず、最初の上陸時になぜ動けなかったのかというと、それぞれの責任を預かっている人たちが集まった会議体だったからではないでしょうか。自分や組織に対して責任を抱えている人が集まって話しても、良い結論が出るわけがありません。物の見方が自分の責任の範囲の中だけに絞られるうえ、自分の責任を逃れるのに必死になるわけですから。
巨災対が強いチームになったワケ
巨災対に関しては、各省庁を中心に、はみ出し者が集まりました。そこで矢口蘭堂(内閣官房副長官・政務担当、長谷川博己)は「どう動いても人事査定に影響はない」と言い切ります。ここが大事です。つまり、責任を全部取っ払った人たちの集まりなのです。
最終意思決定者と、責任をすべて取っ払った戦略立案家、このセットが最強だと考えます。中国の有名な武将たちも、必ず横に優秀な参謀を置いていた。日本も戦国武将たちは横に頭の良い参謀をつけていたと聞きます。

日本企業の経営者で、参謀を置くようなタイプは少ない気がします。
加島:そうですね。日本の経営は一般的に「殿様経営」なんです。みんなが「殿」と言って奉って、殿に害が及ばないように下が守る。対して、お隣の韓国の経営は「皇帝経営」。自分がトップダウンで下ろしていく。そのための参謀をずらっと揃える感じです。
物事を決める時には、まずしがらみがなく、失うもののない人たちが集まって知恵を出し、最終的に勇気を持って決断するリーダーが1人いれば良い。あとは日本人が得意な「決まったことをやり遂げるリーダーシップ」にシフトしていけば、結果は良い方向へ向かいやすい。
リーダーの仕事は「次のリーダーを創ること」
劇中、いわゆる「内閣総辞職ビーム」によって、総理大臣をはじめ閣僚の多くを失いました。次なるリーダーは誰なのか。その備えは大事です。企業も、不祥事やその後の対応によって、トップが急に変わるリスクを抱えています。どのような備えが必要なのでしょう。
加島:リーダーの仕事は何なのか。リーダーとして「君臨」することが仕事と勘違いしている人が少なくありません。もしあなたがリーダーに就任したら、その日から「次のリーダーを創る」のが仕事だと考えるべきです。
リーダーの選び方も良くない。お気に入りで、自分の言うことを聞く人をかわいがってしまう。それで出世しても、誰も部下はついてこないでしょう。これでは個人としても組織としても悲劇です。
だから、会社のトップも、みんなの支持を得て、競争相手を破ってトップに立った方が信任を得やすい。選挙みたいなものですね。そういうマネジメントは日本企業には少ないと感じます。そういう経営をやっている企業はいずれ株価が下がっていくでしょう。能力関係なく、ただ世襲だけでリーダーを指名する会社とか、会社の次のステージに向けたプランを投資家に言えないような会社は評価されなくなって当然です。
ここからは「勝手な妄想」なんですが、お付き合いください。ゴジラを凍結した後、臨時で総理大臣になった里見さんは「内閣の総辞職」を示唆していました。そこで、「その後の内閣」についてです。赤坂秀樹(内閣総理大臣補佐官・国家安全保障担当、竹野内豊)が総理大臣に、矢口蘭堂が官房長官に、泉修一(保守第一党政調副会長、松尾諭)が幹事長に就任すると仮定して、この体制で日本を立て直していけるでしょうか。
加島:随分と激しい妄想ですね(笑)。
矢口蘭堂は「政治家として一度責任を取る」と言っているのでいきなり官房長官にはならないかもしれません。これも妄想ですが(笑)。
加島:そうですね。チームとしてはどうでしょうか。お互いリスペクトしあえているかが大事です。矢口と泉はしっかりと深い信頼関係がありそうですが、赤坂とはどうか。常に出世を気にしていた赤坂と、有事でも自分の意見を曲げなかった矢口に信頼関係があるのか。
そして、矢口に関して言えば、彼は危機対応には向いているけれど、そうじゃないことには向いていない気がします。災害後に東京、ひいては日本を復興していかなければいけない。そうした局面には向いていないような気がします。復興の時期には、もっと大きな絵を描くことができるリーダーが向いている気がします。
会社経営でも、創業期や拡大期に向いた経営者や、ピンチの時に選択と集中をしてV字回復に導くのが得意な経営者もいます。それぞれの状況に合ったトップが求められるのは、政治の世界も企業経営も同じなのです。
映画「シン・ゴジラ」を、もうご覧になりましたか?
その怒涛のような情報量に圧倒された方も多いのではないでしょうか。ゴジラが襲う場所。掛けられている絵画。迎え撃つ自衛隊の兵器。破壊されたビル。机に置かれた詩集。使われているパソコンの機種…。装置として作中に散りばめられた無数の情報の断片は、その背景や因果について十分な説明がないまま鑑賞者の解釈に委ねられ「開かれて」います。だからこそこの映画は、鑑賞者を「シン・ゴジラについて何かを語りたい」という気にさせるのでしょう。
その挑発的な情報の怒涛をどう「読む」か――。日経ビジネスオンラインでは、人気連載陣のほか、財界、政界、学術界、文芸界など各界のキーマンの「読み」をお届けするキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を開始しました。
このキャンペーンに、あなたも参加しませんか。記事にコメントを投稿いただくか、ツイッターでハッシュタグ「#シン・ゴジラ」を付けて@nikkeibusinessにメンションください。あなたの「読み」を教えていただくのでも、こんな取材をしてほしいというリクエストでも、公開された記事への質問やご意見でも構いません。お寄せいただいたツイートは、まとめて記事化させていただく可能性があります。
119分間にぎっしり織り込まれた糸を、読者のみなさんと解きほぐしていけることを楽しみにしています。
(日経ビジネスオンライン編集長 池田 信太朗)
Powered by リゾーム?