日経ビジネスオンラインでは、各界のキーパーソンや人気連載陣に「シン・ゴジラ」を読み解いてもらうキャンペーン「「シン・ゴジラ」、私はこう読む」を展開しています。
※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。
企業の風土改革や事業再生、リーダーシップ教育を手掛けるセルムの加島禎二社長に、『シン・ゴジラ』の読み方を聞いた。リーダーシップ、マネジメントだけでなく、人材教育からブランド再生まで、多面的に語る。
『シン・ゴジラ』を見てどのような印象を受けましたか。
加島禎二(以下、加島):私が劇場で鑑賞したとき、映画のエンドロールが終わるまで、誰一人として席を立たなかったのが印象的でした。知人に聞いても、みんなそうだったと言うんです。この作品をどう解釈したらいいのか、何だったんだろうというモヤモヤした感じが残ったのでしょう。誰1人泣いている人はいないのに、です。面白いのはもちろんなのですが、この見終わった感覚の新しさに感動しました。
加島 禎二(かしま・ていじ)
1967年神奈川県生まれ。上智大学文学部心理学科卒業後、90年にリクルート映像入社。営業、コンサルティング、研修講師を経験。98年に創業3年目のセルムに参加し、2002年取締役企画本部長に就任。2008年、常務取締役関西支社長を経て2010年社長に就任。写真:丸毛透。
モヤモヤを消化する際、加島さんは何を思い浮かべましたか。
加島:日本航空(JAL)の再生を引き受けた稲盛和夫さん(京セラ会長)が頭をよぎりました。
まず、『ゴジラ』の監督を引き受けた監督の視点に立って考えたのだと思います。歴史と伝統があり、『ゴジラ』は日本で1つの文化として根付いている。とはいえ、長い間国内版のゴジラは新作が公開されていなかった。
それを引き受ける覚悟。これは、かつての名門企業だったJALが凋落した際に、再生を引き受けた稲盛さんを彷彿とさせた。稲盛さんはJAL再生を引き受ける前に、相当考えたと聞きます。『シン・ゴジラ』の総監督を務めた庵野秀明さんは、それぐらいの覚悟があったのではないでしょうか。
歴史あるものの「復活」を期しての登板。どのあたりが特に難しいのでしょう。
加島:ロングセラー商品はその長い歴史の中で、いろいろなしがらみがまとわりついている。だが、リポジショニングしなければ復活の道は限られている。従来のファンは支持しても、新たなファンの獲得は難しいからです。
私の知人に、スイスの「ネスレ」のブランドマネジャーを務めた人がいます。常に同じ商品が、世界中で展開されているように見えているかもしれません。ですが、その時々のブランドマネジャーが相当な思いを込めてリポジショニングをして、引き継いできた結果なのです。
歴史を知れば知るほどどうしたらいいんだろうと悩むでしょう。身が縮こまってしまう思いと戦いながら、新しいネスレを創っていかなければならない。
『ゴジラ』も、その長い歴史を考えると、そぎ落とせないしがらみはたくさんあったのではないでしょうか。
ハリウッド版を除けば、『ゴジラ』シリーズが国内で新作が上映されたのは12年ぶりとなります。
加島:それだけ行き詰っていたのでしょう。こういう時は、原点に立ち返るに限ります。
『ゴジラ』の原点に。
加島:そうです。原点に立ち返るというのは、存在理由は何なのかをもう一度考え直す良い機会になります。これは会社の立て直しでも同じことが言えます。自分たちは何のために存在しているのか、そこを突き詰める。本作が初代ゴジラに近い内容だったのも、オマージュという意味合い以外に、原点に立ち返る要素があったのかもしれません。
それだけでなく、きちんとリポジショニングもできています。『ゴジラ』はいつしか怪獣映画=子供向けとなっていた。だが、本作は子供が見に行ったわけではありません。多くは大人が見に行っている。子供が楽しめるというよりも大人が楽しめる映画へとリポジショニングできた作品だったと思います。
いたずらに「自分色」を出す経営者の愚行
引き継ぐということの難しさは、文化・伝統だけでなく経営にも言えることだと思います。
加島:引き継ぐときのメッセージが何なのか、そこをしっかりと見極める必要がありますね。会社を立て直すために交代するのであれば、やはり変革は必要です。ただし、どんな変革が必要なのかはその新たなリーダーがきちんと理解しなければなりません。
例えばシャープ。ここまで業績が悪くなれば、前任者を否定しないと変われないでしょう。ただ、どの部分を否定すべきなのかをきちんと考えないといけません。逆に、何を残すべきなのか、歴史も含めて、しっかりと考える必要があります。
ベネッセホールディングスで原田(泳幸・元会長兼社長)さんがやった改革は、その方向性が間違っていた。ベネッセの存在理由として一番大事にすべきは「赤ペン先生」でしょう。ただ、営業活動に注力すべく、人員の配置転換をしました。赤ペン先生の存在価値を下げるような改革は、この時必要だったのでしょうか?ここはメスを入れるべきところではなかった。
いたずらに「自分色」を出すために変えると、本当は変えてはいけない大事な強みまで失ってしまうリスクがあります。「前社長のやっていたことをそのまま踏襲します」という社長では、組織が変化対応についていけない可能性が高い。変革はバランスが難しい。
米ゼネラル・エレクトリック(GE)は、ジャック・ウェルチ氏やジェフ・イメルト氏のように、歴代のトップが「創造的破壊」を実現できる人にバトンを渡しています。自分を後継者に指名した前任者の出身母体の事業もあっさりと売却してしまう。そのドライさが強みでもあります。
加島:GEは1人のトップが20年近く務めるのが前提としてあります。創造的に破壊しても、なお成果が出るまでに時間がある。その長い期間があるので、次世代の若手をじっくりと見極めることができる。創造的破壊と人材育成、これがGEの経営の真骨頂です。
日本の企業には「2期4年で交代の不文律がある」というような企業も少なくありません。
その期間内で、本気で会社を改革するのはなかなか難しいと思います。日本と欧米では企業経営における価値観が大きく異なります。逆に、このスタイルだからこそ日本企業は持っている部分があるのかもしれませんが。
ゴールを先に決めて動く欧米型と、目の前にある課題を解消する日本型
日本と欧米の考え方の違い、『シン・ゴジラ』の映画の中にも出てきました。特にカヨコ・アン・パタースン(米国大統領特使、石原さとみ)の役どころなど、その典型ですね。
加島:カヨコは日本にルーツがある一方、米国の大統領特使という立場で日本政府に対峙しなければならなかった。米国と日本の価値観のぶつかり合い、国同士だけでなく、自分の中でもぶつかり合って揺れる点が面白かったです。
欧米は、何か物事が起きたときに根本治療を目指す傾向にある。そして相手をドミナント(支配)しようとする。まずは最終的なゴールを決めて、そこに向かって突き進む。
一方、日本人の場合は、取りあえず目の前にある小さな課題を片付けていく傾向が強い。今この危機を脱して、次はまた次の人たちが考えればいいんだというのが日本人に多い考え方ですね。『ゴジラ』は東京のど真ん中に残っちゃうんですけれど(笑)。
企業経営者に関しても、つないでいくことが大好きで、それが大事なんです。なので、2期4年での交代でも問題ないのかもしれません。米国人はゴールを先に決めるがために、先走ってしまってそのゴール設定自体が間違うこともある。象徴的なのがベトナム戦争です。思い込みの激しさが、判断を間違える。
日本人リーダーの行動の1つとして、里見祐介(農林水産大臣、平泉成)がフランスの駐日大使を前にずっと頭を下げ続けるシーンが印象的でした。
加島:自分の役割をきちんとこなす、日本人はそこには長けている。その細分化された役割をしっかり把握し、やりきる。ここに関してはものすごく優秀と言えます。ただ、そこに責任を背負わされると急に保守的になって、誰も動かなくなってしまう。
劇中、最初の上陸の際には官僚が「自分の担当ではない」と仕事をたらいまわしにするシーンがありました。一方で、2回目の上陸時には『巨災対(巨大不明生物特設災害対策本部)』を中心に、自分の領域を超えてチームワークを発揮する組織が活躍します。どのような変革があったのでしょうか。
加島:まず、最初の上陸時になぜ動けなかったのかというと、それぞれの責任を預かっている人たちが集まった会議体だったからではないでしょうか。自分や組織に対して責任を抱えている人が集まって話しても、良い結論が出るわけがありません。物の見方が自分の責任の範囲の中だけに絞られるうえ、自分の責任を逃れるのに必死になるわけですから。
巨災対が強いチームになったワケ
巨災対に関しては、各省庁を中心に、はみ出し者が集まりました。そこで矢口蘭堂(内閣官房副長官・政務担当、長谷川博己)は「どう動いても人事査定に影響はない」と言い切ります。ここが大事です。つまり、責任を全部取っ払った人たちの集まりなのです。
最終意思決定者と、責任をすべて取っ払った戦略立案家、このセットが最強だと考えます。中国の有名な武将たちも、必ず横に優秀な参謀を置いていた。日本も戦国武将たちは横に頭の良い参謀をつけていたと聞きます。
最終意思決定者と、責任をすべて取っ払った戦略立案家のチームは強い。©2016 TOHO CO.,LTD.
日本企業の経営者で、参謀を置くようなタイプは少ない気がします。
加島:そうですね。日本の経営は一般的に「殿様経営」なんです。みんなが「殿」と言って奉って、殿に害が及ばないように下が守る。対して、お隣の韓国の経営は「皇帝経営」。自分がトップダウンで下ろしていく。そのための参謀をずらっと揃える感じです。
物事を決める時には、まずしがらみがなく、失うもののない人たちが集まって知恵を出し、最終的に勇気を持って決断するリーダーが1人いれば良い。あとは日本人が得意な「決まったことをやり遂げるリーダーシップ」にシフトしていけば、結果は良い方向へ向かいやすい。
リーダーの仕事は「次のリーダーを創ること」
劇中、いわゆる「内閣総辞職ビーム」によって、総理大臣をはじめ閣僚の多くを失いました。次なるリーダーは誰なのか。その備えは大事です。企業も、不祥事やその後の対応によって、トップが急に変わるリスクを抱えています。どのような備えが必要なのでしょう。
加島:リーダーの仕事は何なのか。リーダーとして「君臨」することが仕事と勘違いしている人が少なくありません。もしあなたがリーダーに就任したら、その日から「次のリーダーを創る」のが仕事だと考えるべきです。
リーダーの選び方も良くない。お気に入りで、自分の言うことを聞く人をかわいがってしまう。それで出世しても、誰も部下はついてこないでしょう。これでは個人としても組織としても悲劇です。
だから、会社のトップも、みんなの支持を得て、競争相手を破ってトップに立った方が信任を得やすい。選挙みたいなものですね。そういうマネジメントは日本企業には少ないと感じます。そういう経営をやっている企業はいずれ株価が下がっていくでしょう。能力関係なく、ただ世襲だけでリーダーを指名する会社とか、会社の次のステージに向けたプランを投資家に言えないような会社は評価されなくなって当然です。
ここからは「勝手な妄想」なんですが、お付き合いください。ゴジラを凍結した後、臨時で総理大臣になった里見さんは「内閣の総辞職」を示唆していました。そこで、「その後の内閣」についてです。赤坂秀樹(内閣総理大臣補佐官・国家安全保障担当、竹野内豊)が総理大臣に、矢口蘭堂が官房長官に、泉修一(保守第一党政調副会長、松尾諭)が幹事長に就任すると仮定して、この体制で日本を立て直していけるでしょうか。
加島:随分と激しい妄想ですね(笑)。
矢口蘭堂は「政治家として一度責任を取る」と言っているのでいきなり官房長官にはならないかもしれません。これも妄想ですが(笑)。
加島:そうですね。チームとしてはどうでしょうか。お互いリスペクトしあえているかが大事です。矢口と泉はしっかりと深い信頼関係がありそうですが、赤坂とはどうか。常に出世を気にしていた赤坂と、有事でも自分の意見を曲げなかった矢口に信頼関係があるのか。
そして、矢口に関して言えば、彼は危機対応には向いているけれど、そうじゃないことには向いていない気がします。災害後に東京、ひいては日本を復興していかなければいけない。そうした局面には向いていないような気がします。復興の時期には、もっと大きな絵を描くことができるリーダーが向いている気がします。
会社経営でも、創業期や拡大期に向いた経営者や、ピンチの時に選択と集中をしてV字回復に導くのが得意な経営者もいます。それぞれの状況に合ったトップが求められるのは、政治の世界も企業経営も同じなのです。
読者の皆様へ:あなたの「読み」を教えてください
映画「シン・ゴジラ」を、もうご覧になりましたか?
その怒涛のような情報量に圧倒された方も多いのではないでしょうか。ゴジラが襲う場所。掛けられている絵画。迎え撃つ自衛隊の兵器。破壊されたビル。机に置かれた詩集。使われているパソコンの機種…。装置として作中に散りばめられた無数の情報の断片は、その背景や因果について十分な説明がないまま鑑賞者の解釈に委ねられ「開かれて」います。だからこそこの映画は、鑑賞者を「シン・ゴジラについて何かを語りたい」という気にさせるのでしょう。
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(日経ビジネスオンライン編集長 池田 信太朗)
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