アニメから入った若手世代は、実写映画をどう撮るか

 庵野監督は、私の父と同世代だ。

 一方、1990年生まれで現在26歳という私と同世代のクリエイターには、アニメーションがきっかけとなって映画というものに触れて実写を撮り始めた人が多い。

 最初に触れた映像作品を聞くと『天空の城ラピュタ』や『となりのトトロ』という声が数多い。かくいう自分も初恋は4歳のとき、『魔女の宅急便』のキキだったし、初めて一人で映画館に通ったのは小学校6年生のとき、『千と千尋の神隠し』を観るため、だった。

 黒澤明監督や小津安二郎監督をはじめ、実写で自らの世界観を見せてきた日本の映画監督の巨匠たち。その影響を受けつつアニメという独自の表現方法で日本のアニメーションを世界に知らしめたのが第二世代とするならば、アニメーションから入った私のような若手の映画人は第三世代と言えるかもしれない。

 そのアニメと実写を行き来するなかで『シン・ゴジラ』という達成を成し遂げた庵野秀明監督の存在。ならばアニメに影響とそのルーツの一端を持ちながらアニメの世界には進まず、実写の世界に進んだ我々は、いかにして実写映画にしかできない新しいオリジナルな表現を獲得して観客に提示できるのか。

 私が尊敬する宮崎駿監督の言葉がある。いわく「アニメとは意志を映し出すもの」。なるほど、まっさらな紙一枚紙一枚を積み重ねて作り上げるアニメーションにおいては、キャラクターの小さな動き、風のなびき、通過する鳥たち、それら一つひとつ、その全てが偶然では起きえない、意志による産物と言えるだろう。

 それでは実写映画は?

 私は「実写映画は縁を映し出すもの」であると捉えている。まっさらな紙の上、ゼロから何かを創作することはできない。だが、実際にあるその場所、実際に生きているその人、そのときに吹いた一陣の風、鳥たちの囀り、俳優たちの面持ちの繊細な揺らぎ――。それらすべてはその場の縁が生み出す偶発性の産物だ。

 そこでしか自分たち実写の人間は戦えない。ある日が曇りなら曇りで撮るしかない、雨なら雨で撮るしかない、しかし、その偶然の奇跡によってこそ、思いも寄らない、計算や想像を超えたものが撮れる。

 「実写映画はエンターテインメントとして生き残れるのか?」

 『シン・ゴジラ』の成功は、我々若手世代に大きな課題を示したように感じる。アニメに比べて元気がないと言われる実写映画だが、きっと尊敬するアニメーションの先達だって頭を抱えながら黒澤明と戦っていたはずだ。悩んだ先に、また新しい答えが待っている。それを信じて、これからも挑み続けたい。

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