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※この記事には映画「シン・ゴジラ」の内容に関する記述が含まれています。
監督・脚本という立場で実写映画制作の一端に携わる一人として、アニメーションと実写映画の相克の歴史という観点から、『シン・ゴジラ』が何を達成したのか、その歴史的意義について書こうと思う。
1954年に初めて東京に姿を現してから、時代の要請に合わせて幾度となく作られてきた。ゴジラはもはや、日本の映画界が誇る伝統であり、文化の一つと言っても過言ではない。これまでにも、初代ゴジラの本多猪四郎監督から始まり、「若大将シリーズ」で知られる福田純監督や大森一樹監督など、数多くの著名な映画監督たちがその才能を発揮し、ゴジラという題材に向き合ってきた。
1990年生まれ、26歳。慶應義塾大学文学部卒業。大学在学中に監督を務めた『Calling』がボストン国際映画祭にて最優秀撮影賞を受賞。『愛の小さな歴史』が2014年東京国際映画祭にて公式上映。フランスの映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』にて「包み隠さず感情に飛び込む映画」として評価される。2015年東京国際映画祭では『走れ、絶望に追いつかれない速さで』が公式上映され、2年連続での上映を果たす。同作は今年、一般劇場公開された。
米ハリウッド版のゴジラ作品を除けば、日本版のゴジラ新作が公開されたのは2004年の『ゴジラ ファイナルウォーズ』(北村龍平監督)以来、実に12年ぶりとなる。邪推するならば、ゴジラの展開に行き詰っていたのかもしれない。
この高い壁に満を持して挑んだのが、『シン・ゴジラ』の総監督を務めた庵野秀明監督だ(『シン・ゴジラ』では総監督という立場だが、映画監督としての庵野氏を扱うため、本稿では呼称を庵野監督と記す)。言わずと知れた『新世紀 エヴァンゲリオン』の生みの親である、アニメーション界の巨匠の挑戦だ。
結果、70億円を超える興行収入を記録。歴代の日本版ゴジラシリーズの中ではトップに躍り出て、見事、「ゴジラ復活」を世に知らしめた。
アニメ映画監督による実写映画挑戦の歴史
なぜ、『シン・ゴジラ』はここまでの大ヒットとなったのか。
従来のゴジラ映画の「お決まり」を壊した作品だったからと言われる。恋愛や家族劇など個人のドラマの要素の一切を排して、徹底して現象としてのゴジラと、その対処にフォーカスを当てている。これまでのゴジラ映画の多くは、主人公のプライベートな物語が介在していた。比較すると、それら要素の排除は鮮明だ。ここまでの思い切った視点の転換は、旧来のゴジラには見られなかった。あるいは、現代においてこれまでのゴジラ映画の型がすでに通用しなくなっていたことの証左、とも言えるかもしれない。
では、どうして庵野監督は新しい世界観を打ち出せたのか。個人的に、彼がアニメーション出身の監督だったという点が大きいように思う。
アニメーションの世界は、自由な想像力や圧倒的なデフォルメが可能で、実写映画では再現が困難な未来や宇宙の世界などを描きやすい。才能が開花し、新たな世界観を持つ作品が次々に生み出されている。『銀河鉄道999』『宇宙戦艦ヤマト』『機動戦士ガンダム』『新世紀 エヴァンゲリオン』といった系譜の物語は、実写映画の世界にいた人間からは出てこない発想から生み出されたものだったのかもしれない。
こうしてアニメで培った表現力を持ちながら、実写映画の世界にも挑戦する監督は少なくない。アニメだけに頼らない、新たな表現の模索のように感じる。
庵野監督自身、実写映画も幾つか手がけてきた。1995年から始まったテレビ版『新世紀 エヴァンゲリオン』、その完結編となる1997年の劇場版を作り終えた後、しばらくの期間、アニメーションから離れて実写の世界に身を置いている。
女子高生の援助交際を題材に取った『ラブ&ポップ』(1998年)、アート色濃厚な『式日』(2000年)、サトエリ(佐藤江梨子)扮する『キューティーハニー』(2004年)。だが、期待以上の興行成績を残せたかと言うと、そうとは言い難い(実験精神に溢れていて個人的には好きなのだが)。
これは庵野監督に限った話ではない。『イノセンス』や『スカイ・クロラ』の押井守監督もまた幾度となく実写を手掛けているが、大きなヒットを生み出せてはいない。『AKIRA』などで世界的に有名な大友克洋監督もそうだ。アニメ出身の映画監督に実写映画は難しい。こういった「定説」が一般化しつつあった。
だが、『シン・ゴジラ』はそれを見事に覆した。興行面でも評価面でも大成功を収めた。アニメーション映画と実写映画の相克の歴史ともいえる近年の日本の娯楽映像産業における、一つの到達点とも言える。
庵野監督は、実写的技法を取り入れた
庵野監督は『シン・ゴジラ』において、自身のフィールドであるアニメ的な技法にこだわらず、実写の世界での偉大な先輩たちの技を用いている。庵野監督のルーツがウルトラマン(1966年)であることは有名な話である。市川崑監督(『犬神家の一族』など)や岡本喜八監督をはじめとして、多くの実写映画からのオマージュを自身の作品に織り込んでいる。
『シン・ゴジラ』は特に、岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』の影響が色濃く感じられるものだった。同作は半島一利氏の同名ノンフィクションを原作として、岡本監督が1967年に制作した映画作品だ。ポツダム宣言の受諾をめぐる閣僚たちの動きが、1945年8月14日から15日の玉音放送までの24時間にフォーカスを当ててドキュメントタッチで描かれている。
重厚なキャスト陣を細かいカット割りでどんどんさばいていくタッチなど、個別の撮り方にも多くのオマージュが見て取れるが、何よりも一番に影響を受けているのはそのコンセプトの設定するところにあると考える。
また、実写表現の最大の特徴の一つである「俳優」という存在を均一化させた点も大きなポイントであると感じる。
シン・ゴジラの特徴は「俳優」という存在を均一化させたことにある。(©2016 TOHO CO.,LTD.)
誰が見ても3時間分の分量であった台本を俳優陣に徹底した早口をさせることによって、ほとんど削らないままに撮りきり、2時間という尺に収めたという(境治氏「東宝はなぜ『シン・ゴジラ』を庵野秀明氏に託したか? 東宝取締役映画調整部長市川南氏インタビュー」より)。
アニメーション出身の監督であるがゆえに達成し得た要素は、ゴジラが初のオールCG(コンピューターグラフィックス)であるという点がまず挙げられる。それまでは原則としてきぐるみの中に人間が入って実演していたのだ。
絵という記号の組み合わせを武器としてきたアニメーション監督ならではの発想と岡本喜八監督のスピーディな群像劇のコンセプトがここに幸福な合致を見たと捉えることができたのだ。
まさに、アニメと実写の境界線を打ち破った作品と言える。
庵野監督に限らず、日本のアニメ映画の監督は、実写の映画から多くを学んできた。押井守監督や、『ガンダム』シリーズの生みの親である富野由悠季監督など、名だたるアニメーションの巨匠たちが実写映画からの影響を公言している。
宮崎駿監督も『もののけ姫』を作る際に「黒澤明監督の『七人の侍』で作られた、サムライと農民の区分・歴史観に挑む」といった趣旨を語っている(『もののけ姫はこうして生まれた』より)。
アニメーション界の巨匠たちは実写映画に影響を受けながらも「アニメーションにしかできない表現」を求めて成功をおさめ、その実績を持って再び実写にチャレンジする。その挑戦の成果として初めて開花したのが、『シン・ゴジラ』ではないだろうか。
アニメから入った若手世代は、実写映画をどう撮るか
庵野監督は、私の父と同世代だ。
一方、1990年生まれで現在26歳という私と同世代のクリエイターには、アニメーションがきっかけとなって映画というものに触れて実写を撮り始めた人が多い。
最初に触れた映像作品を聞くと『天空の城ラピュタ』や『となりのトトロ』という声が数多い。かくいう自分も初恋は4歳のとき、『魔女の宅急便』のキキだったし、初めて一人で映画館に通ったのは小学校6年生のとき、『千と千尋の神隠し』を観るため、だった。
黒澤明監督や小津安二郎監督をはじめ、実写で自らの世界観を見せてきた日本の映画監督の巨匠たち。その影響を受けつつアニメという独自の表現方法で日本のアニメーションを世界に知らしめたのが第二世代とするならば、アニメーションから入った私のような若手の映画人は第三世代と言えるかもしれない。
そのアニメと実写を行き来するなかで『シン・ゴジラ』という達成を成し遂げた庵野秀明監督の存在。ならばアニメに影響とそのルーツの一端を持ちながらアニメの世界には進まず、実写の世界に進んだ我々は、いかにして実写映画にしかできない新しいオリジナルな表現を獲得して観客に提示できるのか。
私が尊敬する宮崎駿監督の言葉がある。いわく「アニメとは意志を映し出すもの」。なるほど、まっさらな紙一枚紙一枚を積み重ねて作り上げるアニメーションにおいては、キャラクターの小さな動き、風のなびき、通過する鳥たち、それら一つひとつ、その全てが偶然では起きえない、意志による産物と言えるだろう。
それでは実写映画は?
私は「実写映画は縁を映し出すもの」であると捉えている。まっさらな紙の上、ゼロから何かを創作することはできない。だが、実際にあるその場所、実際に生きているその人、そのときに吹いた一陣の風、鳥たちの囀り、俳優たちの面持ちの繊細な揺らぎ――。それらすべてはその場の縁が生み出す偶発性の産物だ。
そこでしか自分たち実写の人間は戦えない。ある日が曇りなら曇りで撮るしかない、雨なら雨で撮るしかない、しかし、その偶然の奇跡によってこそ、思いも寄らない、計算や想像を超えたものが撮れる。
「実写映画はエンターテインメントとして生き残れるのか?」
『シン・ゴジラ』の成功は、我々若手世代に大きな課題を示したように感じる。アニメに比べて元気がないと言われる実写映画だが、きっと尊敬するアニメーションの先達だって頭を抱えながら黒澤明と戦っていたはずだ。悩んだ先に、また新しい答えが待っている。それを信じて、これからも挑み続けたい。
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映画「シン・ゴジラ」を、もうご覧になりましたか?
その怒涛のような情報量に圧倒された方も多いのではないでしょうか。ゴジラが襲う場所。掛けられている絵画。迎え撃つ自衛隊の兵器。破壊されたビル。机に置かれた詩集。使われているパソコンの機種…。装置として作中に散りばめられた無数の情報の断片は、その背景や因果について十分な説明がないまま鑑賞者の解釈に委ねられ「開かれて」います。だからこそこの映画は、鑑賞者を「シン・ゴジラについて何かを語りたい」という気にさせるのでしょう。
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(日経ビジネスオンライン編集長 池田 信太朗)
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