シン・ゴジラが持つ「広がるメカニズム」とは

 「シン・ゴジラ」は純粋に映画として面白かった。(映画のストーリーにのめり込んだため、正直なところ鑑賞中は野村萬斎のことをすっかり忘れてしまっていた)。そして、同監督の代表作「新世紀エヴァンゲリオン」のように多様な解釈や考察が生まれる作品だな、と感じた。

 そこで私は新しい発見を求めて、Googleで鑑賞後の感想についてインターネットで検索をしてみた。映画の公開後まだ数日であるにもかかわらず、すでに膨大な数の情報が検索結果には並ぶ。冒頭に登場する船の名前や船内に残された本、石原さとみの英語力、ヤシオリ作戦のルーツ、エンドロールで流れる音楽の順番…。ここでその詳細について触れることはしないが、映画をただ観るだけでは知り得ない数多くの情報を知ることが可能で、より一層映画の深みとこだわりを感じることができた。

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 鑑賞した映画の余韻が残る状態で、これらの情報に触れることによって、内容の振り返りをすると同時に、もう一度観たいという欲求が生まれる。自分が見逃したシーンやセリフ、そこに隠された意味などを実際に確認したくなる。事実、私はこの映画のリピーターになってしまった。

 私の個人的な体験を書き連ねたのは、「シン・ゴジラ」が私たち鑑賞者に「広がる」メカニズムをまさに体現していると思ったからだ。

ファンが「余白」を補完し合う

 上記のように「シン・ゴジラ」は、多様な解釈に開かれた作品だ。叙述が、ヒントを散りばめつつもあえて不完全なまま放り出されている。描かれないその「余白」は、鑑賞者おのおのが補うように促される。

 自分の知識で「余白」を埋めることができれば、その「読み」を他の鑑賞者に伝えたくなる。自分の中に答えの持ち合わせがなければ、インターネットなどで調べて他人の解釈や説明を読んで消化したくなる。ソーシャル空間に情報を「出す」側にも、そこから情報を「受ける」側にもインセンティブがある。

 つまり、この作品は、映画館の「外」で補完されるように設計されているのだ。だからこそ日経ビジネスオンラインで「『シン・ゴジラ』、私はこう読む」という特集が成り立った。情報を一方的にブロードキャストする従来の作品とは異なる、ポスト・モダン型とも言うべき作品のありようと言っていいだろう。

 こうした作品のありようと支えるツールやサービスが数多く登場している。ツイッターのような交流サイト(SNS)やGoogleなどの検索エンジンはもちろん、「Filmarks」のような映画のソーシャルレビューアプリも人気を集める。これらのツールの多くはユーザーデータを連携することができるため、Facebookでつながっている友人や知り合いの内、趣味が近い人の評価の高い映画を調べることなどもできる。

鑑賞者による情報発信はメディアのスピードを超える

 言うまでもないが、この仕組みは、鑑賞後の満足度を引き上げ、(私のような)リピーターを生み出すと同時に、新たな顧客を生み出すことにも繋がっている。デジタルマーケティング関連で最近よく聞く言葉で言い換えるとすれば、「エンゲージメント」(サービス利用者との関係性)の強化と、「コンバージョン」(サービス利用者のアクション、例えば「会員になる」「利用料を払う」など)の創出に寄与している、となる。

 宣伝費を費やして広告露出を増やすのではなく、鑑賞者が自らの動機で世界中に情報を発信し、それが共有され、ゴジラ細胞のごとく広がっていく。旧来型のメディアよりも、その鮮度と伝達のスピードはソーシャルメディアが圧倒的に有利だ。