何が起こった?国内縫製工場は30年で10分の1に
HITOYOSHI吉國社長はなぜファクトリエと組んだのか(前編)
アパレル業界の常識を根底から覆すものづくりに挑戦するブランド「ファクトリエ」。店舗なし、セールなし、生産工場を公開、価格は工場に決めてもらう——。これまでのアパレル業界のタブーを破って、日本のものづくりを根底から変えようとしている。つくる人、売る人、買う人の誰もが、「語りたくなる」ようなメイド・イン・ジャパンの新しいものづくりに挑戦している。
本連載では、同ブランド代表の山田敏夫氏が、思いのあるものづくりを実践している人々に話を聞く。連載4回目に登場するのは、高品質な日本製のシャツを手掛けるシャツ・ファクトリー、HITOYOSHI株式会社の吉國武社長。ファクトリエが創業して初めて、一緒に商品を作ったのがHITOYOSHIだった。吉國社長は、なぜ、山田氏と一緒にシャツを作る決断を下したのか、話を聞いた。今回はその前編。(本記事は、2018年11月19日に蔦屋中目黒店で開催したイベントの内容を記事にしました。聞き手はカルチュア・コンビニエンス・クラブ執行役員兼中目黒蔦屋書店館長の中西健次氏、構成は宮本恵理子)。
HITOYOSHI株式会社代表取締役社長の吉國武氏(写真左)
大手アパレル会社の子会社だった人吉ソーイングの取締役時代、リーマンショックの影響で経営破綻した人吉ソーイングの再建に着手し、職人の技術を活かす高価格帯のシャツ・ファクトリーとして2年で黒字化を達成。現在は、オリジナルブランドを全国20都市以上の百貨店で展開する。「HITOYOSHI」の社名は本社工場を置く熊本県人吉市に由来する。
中西氏(以下、中西):『ものがたりのあるものづくり』の出版記念として、ファクトリエの山田敏夫さんと、熊本県人吉市に工場を置くシャツ・ファクトリー「HITOYOSHI」の吉國武社長にお越しいただきました。山田さんは弊社(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)のベンチャー支援プログラム「T-VENTURE PROGRAM」に2016年にエントリーされて、優秀賞を獲得されたご縁で、蔦屋書店の店舗でも商品を紹介したりして、応援させていただいています。吉國さんは、山田さんがファクトリエを創業して初めてタッグを組んだパートナーでもあります。
山田氏(以下、山田):僕らは、メイド・イン・ジャパンの服を売っている会社です。ミッションは「語れるもので、日々を豊かに」。服を買う時の判断軸に、デザインや価格だけでなく「作り手の想い」という3つ目の軸を提案し、定着させようとしている会社です。
現在、一緒にものづくりをしている工場は全国55カ所。創業から6年、これまで国内600以上の工場を回り、世界に誇れる技術を持ち、僕たちと同じ夢を描いてくれる工場とだけ提携してきました。
販売はネット通販だけですが、工場ツアーや工場長を招いた店舗でのイベントなど、作り手の思いを買い手に直接伝える機会は大切にしています。僕らは、作り手と買い手をつなぐ“伝え手”でありたいと考えています。
そして、ファクトリエの商品第1号であるシャツを作ってくださった工場がHITOYOSHIさんでした。当時は何者でもなかった僕に、辛抱強く伴走してくださったのが吉國社長なのです。
ファクトリエが初めて作ったシャツは、クラウドファンディングで販売を始めました。
吉國氏(以下、吉國):もう6年前のことですね。その頃、当社はリーマンショックによって一度経営破綻したのを機に、職人のものづくりという原点回帰に戻って、高品質のシャツだけを作ろうと決意を固めていた時期でした。
再出発した時にはたった5人だった社員も、今は127人まで増えて、社員みんなが山田さんとファクトリエの応援隊です。
HITOYOSHIの本社は東京の青山に置いていますが、工場は熊本県人吉市。山間の小さな町で、酒も水もうまい環境で、毎日シャツを作っております。
中西:山田さんも熊本出身ですから、熊本というのがお二人の共通点ですね。お二人がアパレル業界に入ったきっかけは。
山田:僕は創業100年の洋品店のせがれとして生まれ、物心ついた時から服が身近にありました。それも両親は時代の流れに逆らって「丁寧な接客で日本製の仕立てのいい服を売る」という姿勢を貫いていました。
お客さんが笑顔で買ってくださっているのを見ながら育ったので、「服は買った人の明日を明るくできる」という考えが身についたと思います。
中西:そして、大学在学中に留学した先のパリで、今の事業につながる気づきを得たんですよね。
「服を作りたい、お金はない」
山田:パリに着いた初日にスリに遭うという災難で、すぐにアルバイトをすることに。フランス語もろくにできない僕を唯一雇ってくれたのがグッチのパリ本店で、地下のストック整理係として採用してもらいました。
その時、グッチだけでなくエルメスやルイ・ヴィトンも、自社の工房を持っていて、その情報開示を積極的にしている文化に触れ、衝撃を受けたんです。職人の手によるものづくりに誇りを持ち、その物語にほれてお客さんは商品を買う。
ひるがえって日本はというと、工場名は滅多に表に出てきませんでした。HITOYOSHIさんのように、作り手がブランドとなって多くの人に届く文化を日本でも広げたい。その思い一つでやっています。
中西:『ものがたりのあるものづくり』を読むと、新しいことを始めるに当たって、山田さんがしてきた地道な苦労がよく伝わってきます。自分も頑張らないと、と勇気をもらいました。
山田:僕は全然苦労はしていないです。むしろ周りに助けていただいてばかりなんで。隣にいる吉國さんが恩人です。
中西:吉國さんがアパレル業界に入ったのはどのようなきっかけだったのでしょう。
吉國:僕は学生の時に子どもができて、福岡の大学を中退しちゃいましてね。土建業の息子だったんですが、知り合いを通じてこの業界に入りました。今62歳ですが、39年ほど、ずっとシャツの企画開発やら営業に携わってきました。これまで世に出したシャツの枚数を数えてみたら、2億1000万枚ほどになるようです。
中西:日本の人口を優に超える数ですね。山田さんの第一印象は、どういうものでしたか。
吉國:第一印象も何も、突然、オフィスの玄関をコンコンとノックしてきて現れた青年、という印象でしたよ。
最初に出た女性社員から「社長、熊本出身の山田さんという方がお話をしたいと言っています」と。彼、いい男でしょう。これは負けたかな、なんて思って話を聞いていたら、「服を作りたい。でも、お金はない」と言う。さて、どうしようかと一緒に考えたことから始まりました。
中西:いきなり初対面で打ち解けたのでしょうか。
吉國:HITOYOSHIは九州出身者が多い会社ですから、山田さんが熊本出身というだけでほぼフリーパスです(笑)。
加えて、初めて会話を交わしただけでも熱意が伝わってきましてね。ファッション、そして日本の未来をどうにかしたいというエナジーに満ちていました。
当然、リスクもありましたが、この若者に賭けてみようという気持ちになりました。山田さんの本には「吉國が実家まで身元調査に来た」みたいに書かれてましたけどね(笑)、そんなことはありません。山田さんのお父さんが熊本で知られた老舗の洋品店を営んでいらっしゃると分かったので、ごあいさつに伺っただけですよ。
中西:25歳以上も年の差があるお二人が共有できた問題意識とはどういうものだったのでしょう。
30年弱で国内の縫製工場は10分の1に
山田:ひと言でいうと、日本のものづくりの危機感です。日本で流通する服の国産比率は、どのくらいだと思いますか。たったの3%です。2017年の速報値では、2.4%とも言われていて、「メイド・イン・ジャパンの服」は今や絶滅危惧種になっています。かつては国力を支えた日本のアパレル産業が、このまま何もしなければ廃れて、いつかはゼロになってしまう。
吉國:このパーセントをより具体的な数字に置き換えると、工場の数でも分かるでしょう。1990年には日本国内に500軒あった縫製工場が、今や50を切っています。10分の1になったわけです。
これは工場長や経営者がサボっていたわけでは決してなくて、むしろ利益を出すために、世界に出て行った結果なんです。より安く、よりたくさん作れる工場を、韓国、台湾……とアジアへ意気込んで行ったわけです。たくさん利益を出そうとみんな海外へ行ったのだけれど、結果は、ただ技術を盗まれて、生産の空洞化が加速してしまった。
中西:消費者側の課題については、山田さん、どう思いますか。
山田:作り手に対する関心が薄いですよね。ほとんどの人が、今着ている服がどこで作られたものか、即答できないと思います。ブランドは気にするけれど、誰が作ったかは気にならない。そこを変えない限り、作り手は衰退していくばかりでしょう。
ブランド選びにワクワクするように、作り手を選ぶことにワクワクできるような文化を醸成していきたいんです。そのためには、僕たちが物語を素敵に語れる伝え手にならなければならない。だから、ただただ工場を回って、勉強しています。
吉國:山田さんが実現しようとしていることは、食べ物に例えると分かりやすいかもしれません。
農作物も、作り手の思いや努力が非常に反映される商品だけれども、昔は「農協」というところが一括して流通を担っていたので、作り手の存在が感じられなかった。「JA」という呼び方になってもそれは同じでした。
けれど今は「田中さんが作ったイチゴ」というふうに、生産者の顔が見える売り方・買い方が珍しくなくなりましたよね。
服においては、それがずいぶん遅れてしまったけれど、作り手と買い手をつなぐプラットフォームを、ファクトリエは一生懸命築こうとしているんです。僕が山田さんに出会った6年前、ファクトリエはお金も信用もなかったけれど、考え方には深く賛同できたから、同じ船に乗ることに決めました。
中西:確かに山田さんが本気で語るときの熱量はすごいですよね。日本のアパレルの国産比率が減退した背景に、ファストファッション人気の影響はやはり大きいのでしょうか。
絶対に破けないソックス、開発秘話
山田:アパレル業界の市場規模そのものは、約10兆円でほぼ変わらず推移しています。つまり人々が服にかけるお金の総額はそれほど変わっていない。とすれば、変わったのは「中身」なのだと思います。
ファストファッションはシーズンごとに流行の服を投入していくので、ずっと売り続けることができるんです。
一方で、僕らは本当に非効率です(苦笑)。流行に左右されないベーシックな型で、かつ品質がものすごくいいので、なかなか破けないし、ほつれない。
1年ほど前に発売した商品に「永久交換保証ソックス」というのがあるのですが、これなんかは全然もうからない売り方ですよね(笑)。1足2000円を週5足分買ってもらったら、一生それでいける。
実際にテストで3万回の摩耗検査に耐えたソックスです。通常は1000回耐えたらクリアするという基準ですから、相当丈夫だということは分かりますよね。
その時、工場の方から「絶対に破けない自信がある。むしろ破けたら、その原因を分析したいから現物を入手したい。だから交換保証をつけてほしい」と希望されたんです。作り手がそこまで言うなら仕方ないですよね(笑)。
この次に僕たちがすべきなのは、さらなる価値ある商品を開発することだと思っています。
例えば、最高級のシーアイランドコットンでふわっふわのソックスを作るとか。価値の高いものづくりをすればするほど、目標レベルが上がっていくのを感じますね。
有名なアパレルの大手ネット通販などは、客単価が4000円を切っているそうですが、ファクトリエの客単価は大体2万5000円くらい。おそらく、戦っているフィールドが全然違うのだと思っています。
ただ、ネットと相性がいいのは、失敗してもあきらめのつく低価格のファストファッションです。その点で、僕たちの方が難しい戦術を求められます。商売って難しいですよ、本当に。
中西:それでも固定ファンが増えているというのは、山田さんが描くビジョンに共感する人が増えているということなのでしょうね。
山田:ありがたいですね。ただ、僕はまだまだ満足していなくて、ニッチのままで終わっては意味がないと考えています。「作り手の思いで買う」という新しい消費の価値軸がメジャーにならなければいけないと思っています。
(後編に続く)
アパレル業界の常識を根底から覆すものづくりに挑戦するブランド「ファクトリエ」。
店舗なし、セールなし、生産工場を公開、価格は工場に決めてもらう——。これまでのアパレル業界のタブーを破って、日本のものづくりを根底から変えようとしている。
ファクトリエはどのように生まれ、そしてどのように日本のアパレル業界を変えてきたのか。つくる人、売る人、買う人の誰もが、「語りたくなる」ようなメイド・イン・ジャパンの新しいものづくりを、一冊の本にまとめました。
失敗を重ねながらも、一歩ずつ、「服」をめぐる「新しい当たり前」をつくってきたファクトリエ。これまでの歩みを知れば、きっとあなたも新しい一歩を踏み出したくなるに違いありません。書籍『ものがたりのあるものづくり』が発売されました。本書の発売を記念して、著者の山田敏夫氏によるトークイベントを開催いたします。ご興味のある方はぜひご参加くださいませ。
- ■銀座 蔦谷書店
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