アパレル業界の常識を根底から覆すものづくりに挑戦するブランド「ファクトリエ」。店舗なし、セールなし、生産工場を公開、価格は工場に決めてもらう――。これまでのアパレル業界のタブーを破って、日本のものづくりを根底から変えようとしている。それは、つくる人、売る人、買う人の誰もが「語りたくなる」ようなメイド・イン・ジャパンの新しいものづくりを目指す挑戦ともいえる。

 本連載では、同ブランド代表の山田敏夫氏が、思いのあるものづくりを実践している人々に話を聞く。連載6回目に登場するのは、エルメス・ジャポン社長やエルメス本社の副社長を歴任し、現在は日本のものづくり振興のために活動するシーナリーインターナショナル代表の齋藤峰明氏。長く欧州の「ものづくり」を見てきた齋藤氏は、日本のものづくりの強みや魅力をどう見ているのか、話しを聞いた。(本記事は2018年12月17日、代官山蔦屋書店で開催したイベントの内容を記事にしました。構成は宮本恵理子)。

代官山蔦屋のイベントの様子
代官山蔦屋のイベントの様子
<span class="fontBold">今回話を聞いた齋藤峰明氏(写真右)</span><br> 1952年、静岡県生まれ。高校卒業後渡仏し、パリ第一(ソルボンヌ)大学芸術学部に入る。在学中から三越トラベルで働き始め、のちに三越のパリ駐在所長となる。その後、エルメス・インターナショナルに入社、エルメスジャポン社長に就任。2008年からフランス本社副社長を務め、2015年8月に退社。シーナリーインターナショナルを設立、代表に就任。フランス共和国国家功労勲章シュヴァリエ叙勲。エルメスでの仕事を語った本に『エスプリ思考~エルメス本社副社長、齋藤峰明が語る』(川島蓉子著)がある。
今回話を聞いた齋藤峰明氏(写真右)
1952年、静岡県生まれ。高校卒業後渡仏し、パリ第一(ソルボンヌ)大学芸術学部に入る。在学中から三越トラベルで働き始め、のちに三越のパリ駐在所長となる。その後、エルメス・インターナショナルに入社、エルメスジャポン社長に就任。2008年からフランス本社副社長を務め、2015年8月に退社。シーナリーインターナショナルを設立、代表に就任。フランス共和国国家功労勲章シュヴァリエ叙勲。エルメスでの仕事を語った本に『エスプリ思考~エルメス本社副社長、齋藤峰明が語る』(川島蓉子著)がある。
山田敏夫氏の「ファクトリエ」の歩みをまとめた『<a href="https://amzn.to/2QN2Ebu" target="_blank">ものがたりのあるものづくり</a>』
山田敏夫氏の「ファクトリエ」の歩みをまとめた『ものがたりのあるものづくり

山田氏(以下、山田):今日お越しいただいた齋藤峰明さんは、エルメス・ジャポン社長、エルメス本社の副社長を歴任し、その前は三越のパリ駐在員として欧州の上質な逸品を日本に紹介されていたという“上質なものづくり”を知る達人です。2012年には会社を立ち上げて、日本のものづくり振興のために精力的に活動されています。僕が初めてお目にかかったのは3年ほど前、東京大学の先生を通じてご紹介いただきました。

齋藤氏(以下、齋藤):出会ってすぐ、山田さんの銀座の店舗にお邪魔して、京都・丹後の工房「KUSKA」が作るネクタイを拝見し、「こんなネクタイは見たことがない。これをぜひ世界に紹介すべきだ」と感動した記憶があります。このネクタイの誕生秘話については、山田さんの著書『ものがたりのあるものづくり』をご覧いただければと思います。それ以来、山田さんとは日本のものづくり復興を目指す“共犯者”のような気持ちで、時々お会いしてはお話をしていますね。

山田:あの時、齋藤さんにそう言っていただけたことが、どれほど励みになったことか。今回は、在仏経験の長い齋藤さんに、日本のものづくりの可能性や、僕たちが目指すべき世の中のあり方について教えていただきたいと思っています。まずは簡単に自己紹介をお願いいたします。

齋藤:私は高校を卒業してから渡仏し、向こうの大学を卒業してから百貨店の三越に入社しました。今は斜陽産業と思われているかもしれませんが(笑)、当時はとても活気のある花形産業だったんです。

 パリ駐在員として、日本から来るバイヤーを連れて、フランス中の職人やデザイナーと引き合わせ、フランスの商品を日本に紹介する仕事を20年やっていました。1970〜80年代の日本というのは、欧米のライフスタイルをどんどんまねていこうという価値観が主流でしたので、忙しく働いていました。

 それからフランスのエルメスに移り、日本に派遣されて16年。その間、支社長として銀座のエルメスビルの建設なども手掛けました。2008年からはフランス本社に戻り、約10年、全世界のエルメスのブランディングを担当し、3年ほど前に「残りの仕事人生は自分が本当にやるべきことを実践しよう」とシーナリーインターナショナルという会社を立ち上げました。

 「シーナリー」は英語で「風景」を意味しますが、誰もが大切にしたい心象風景を未来に残すという意味を込めています。風景は、それが目の前に現れた時、心の中に眠る「美しいと感じる対象」を呼び覚ます鏡のようなもの。風景として残すべきものづくりを応援したいと、日々活動しています。

山田:齋藤さんはよく「日本の良さは里山の田園風景にある」とおっしゃっています。

齋藤:それは何も昔ながらの風景を懐かしむという意味ではありません。里山の出身でなくても、里山の風景を「美しい」と感じるのはなぜか。それは、そこに“人と自然の共生”が見えるからです。

 山があり川があり、田んぼがあって、その中にポツンと小さな小屋があり、すっと煙が登っている。自然の中になじむ人間の営みを象徴するのが、里山の田園風景なのだと思います。

 ジブリ映画の自然風景が世界中の人の胸を打つ理由も、そこにある。決して日本人のノスタルジーではなく、人間が誰もが憧れる世界がそこにあるのです。

山田:齋藤さんがエルメスを辞めた時に開いたパーティーには、中田英寿さんなどの錚々たる方々がいらしていました。「世界戦略についてアドバイスしてほしい」と日本各地の産地からも引く手あまただと聞きます。日本のものづくりの現状を見て、最も課題だと感じる点はどこですか。

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