意気揚々と海外進出、しかし最初の受注はゼロ

細尾:元々のきっかけは、僕の父がパリの国際見本市「メゾン・エ・オブジェ」に西陣織で作ったソファを出店したことでした。年間10万人のバイヤーが買い付けにやってくるインテリアのワールドカップのようなところで、世界で最も複雑な織りができる西陣織の美しさを、帯ではない「インテリア」として提案する実験でした。

 結果がどうだったかというと、受注はゼロ。初めての海外戦はヒット1本も打てずで終わりました。

 理由は大きく2つあって、まず生地幅の問題。帯の幅として決められた生地は32cmや38cmと幅が狭く、椅子の張り地にするには必ず継ぎ目が出てしまう。これは出展して分かったことですが、それではダメなんです。

 もう1つの理由は、「完成品としてのモノを作らなければならない」という固定概念に縛られていたこと。我々は長年帯を作ってきたけれど、ソファ作りは素人で、受注後の発送やメンテナンスについての準備は十分にできていませんでした。

 そこで、その翌年は「ヨーロッパではインテリアとしてクッションを使うから、和柄のクッションカバーならいけるのでは」と再挑戦。結果は、ロンドンと香港の高級百貨店からのオーダーが2件入りました。

 一歩前進しましたが、受注数が一口100枚程度と、1年かけて準備して、出店料を払った事業としては赤字でした。

 それでも一定の評価を得られたことは励みになり、その翌年もさらに翌年もクッションを作りました。ただ決定的なブレイクにはならず、という期間が続きました。

山田:最初からうまくいったわけではなかったのですね。

細尾:社内でも「1人サークル」状態で、「社長のバカ息子が戻ってきて海外で遊んでいる」程度にしか思われていなかったのではないでしょうか(笑)。

 このままではまずいと考えていた時、転機となったのは2008年末にパリのルーブル装飾美術館で開催された日仏国交150周年の記念展に出品したことでした。

 チームラボのアニメーションや任天堂のゲーム機など、日本が誇れる感性価値のものづくりを集めた展覧会に、僕たちも西陣織の帯を出品させてもらいました。

 展覧会は好評で、翌2009年にニューヨークで巡回展となったのですが、終わってから1通のメールが届きました。「展覧会で見た西陣織の帯の技術を使って、テキスタイル開発の依頼をしたい」と。差出人は世界で5本の指に入ると言われる著名な建築家、ピーター・マリノ氏からでした。

山田:すごい展開ですね。

細尾:商売目的での出品ではなかったので意外でしたね。マリノ氏から送られてきた絵は、鉄が溶けたようなコンテンポラリーアートのような柄で、和柄の発想ではまずあり得ないデザインでした。用途は何かというと、「クリスチャン・ディオールが世界各都市で展開する全旗艦店でのインテリアに使いたい」と。

 僕たちは和柄で一生懸命勝負しようとしていましたが、求められたのは柄ではなく、西陣織が本来持っている“技術と素材”だったのです。

山田:その気づきが、大きなターニングポイントになったんですね。

細尾:はい。ただすぐに問題を抱えました。先ほど言った生地幅です。継ぎ目が出ないように生地幅を広げないといけません。そのためには新しい織り機を作るしかない。社内からは「着物だけでも大変な時に」とかなりの反対意見が出ました。

 それでも何とか説得を続け、1年かけて150cm幅を織れる織り機が完成しました。その1台目でディオールへ納品し、以後は年に1台ずつ織り機を増やして、今は6台の織り機が稼働しています。8年前はベテランの職人3人体制でしたが、20代から30代前半の若い職人が入ってきてくれて、今は8人まで増やせました。

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