壊そうとしても変化を飲み込む、それが伝統だ
創業300年超の老舗企業が挑む伝統の破壊と挑戦(前編)
アパレル業界の常識を根底から覆すものづくりに挑戦するブランド「ファクトリエ」。店舗なし、セールなし、生産工場を公開、価格は工場に決めてもらう――。これまでのアパレル業界のタブーを破って、日本のものづくりを根底から変えようとしている。それは、つくる人、売る人、買う人の誰もが「語りたくなる」ようなメイド・イン・ジャパンの新しいものづくりを目指す挑戦ともいえる。
本連載では、同ブランド代表の山田敏夫氏が、思いのあるものづくりを実践している人々に話を聞く。連載5回目に登場するのは、京都で元禄年間に創業した西陣織の老舗・細尾の12代目である細尾真孝氏。300年以上続く老舗でありながら、細尾氏は伝統の壁を破るべく、さまざまな挑戦を重ねている。例えば帯の技術や素材をベースにしたファブリックを海外向けに展開。欧州の有名ブランドの店舗などに活用されている。歴史ある企業が伝統の壁を乗り越える中で、「ものづくり」をどのように再定義したのか、話を聞いた。今回はその前編。(本記事は、2018年12月15日、京都岡崎蔦屋書店で開催したイベントの内容を記事にしました。構成は宮本恵理子)。
細尾真孝氏(写真右) 株式会社細尾 常務取締役、MITメディアラボ ディレクターズフェロー
1978年、西陣織老舗 細尾家に生まれる。細尾家は元禄年間に織物業を創業。人間国宝作家作品や伝統的な技を駆使した和装品に取り組む。大学卒業後、音楽活動を経て、大手ジュエリーメーカーに入社。退社後フィレンツェに留学し、2008年に細尾に入社。西陣織の技術、素材をベースにしたテキスタイルを海外に向けて展開し、建築家、ピーター・マリノ氏のディオール、シャネルの店舗に使用されるなど、世界のトップメゾンをクライアントに持つ。また、アーティストとのコラボレーションも積極的に行う。2012年より京都の伝統工芸を担う同世代の若手後継者によるプロジェクト「GO ON」を結成し、国内外で伝統工芸を広める活動を行う。
山田氏(以下、山田):今日ゲストにお招きした細尾真孝さんは、今からはるか昔の1688年、元禄の時代に創業した西陣織の老舗、細尾の常務であり、様々な分野のアーテイストや企業と協働しながら、ユニークかつ革新的な西陣織の可能性を切り開いている立役者です。京都の伝統工芸後継者のユニット「GO ON」のご活動でも有名な細尾さんに、「伝統と挑戦」をテーマにいろいろお話を伺いたいと思います。
細尾氏(以下、細尾):京都の上京区の晴明神社の裏手にある工房でものづくりをしております。本業は西陣織の帯のメーカーで、高級呉服の製造問屋なのですが、10年前に私が家業に戻ってから、「帯」という枠を超えて、西陣織を「素材」として新たなインテリアやファッションを開発するプロジェクトを始めています。
山田:世界の錚々たるラグジュアリーブランドとのコラボレーションが生まれていますよね。西陣織というと、どちらかというと「変わることなく守られる伝統」というイメージがありますが、なぜそういった挑戦をしようと思ったのでしょう。
細尾:今の生活様式の中では着物を着る機会はどんどん減って、着物の市場はこの30年で10分の1まで縮小しています。完全になくなることはないにしても、この先、50年、100年と続けていくには、新しい挑戦が必要だという危機感がありました。
最初は僕の父が海外に向けた展開を始めたのですが、最初はなかなかうまくいきませんでした。
転機となったのは8年前、西陣織を幅広に織れる織り機を独自に開発したことです。それ以来、店舗の壁面や椅子の張り地といった内装材に西陣織を使っていただけるようになり、クリスチャン・ディオールや、シャネル、ルイ・ヴィトン、エルメスなどに使っていただいています。
ほかにも、映画監督のデヴィット・リンチさんとコラボレーションしたりするなど、先端技術を取り入れた素材の開発を進めています。織り元の可能性をどう広げ、どうやって新しいエコシステムをつくっていくかという挑戦をしています。
山田:そういった取り組みは、これまでで何件くらいになるのでしょうか。
細尾:数えたことはないのですが、おそらく7〜10くらいになるはずです。
山田:先ほど挙げた海外ラグジュアリーブランドからのお話は、どのような経緯で来たのでしょう。
意気揚々と海外進出、しかし最初の受注はゼロ
細尾:元々のきっかけは、僕の父がパリの国際見本市「メゾン・エ・オブジェ」に西陣織で作ったソファを出店したことでした。年間10万人のバイヤーが買い付けにやってくるインテリアのワールドカップのようなところで、世界で最も複雑な織りができる西陣織の美しさを、帯ではない「インテリア」として提案する実験でした。
結果がどうだったかというと、受注はゼロ。初めての海外戦はヒット1本も打てずで終わりました。
理由は大きく2つあって、まず生地幅の問題。帯の幅として決められた生地は32cmや38cmと幅が狭く、椅子の張り地にするには必ず継ぎ目が出てしまう。これは出展して分かったことですが、それではダメなんです。
もう1つの理由は、「完成品としてのモノを作らなければならない」という固定概念に縛られていたこと。我々は長年帯を作ってきたけれど、ソファ作りは素人で、受注後の発送やメンテナンスについての準備は十分にできていませんでした。
そこで、その翌年は「ヨーロッパではインテリアとしてクッションを使うから、和柄のクッションカバーならいけるのでは」と再挑戦。結果は、ロンドンと香港の高級百貨店からのオーダーが2件入りました。
一歩前進しましたが、受注数が一口100枚程度と、1年かけて準備して、出店料を払った事業としては赤字でした。
それでも一定の評価を得られたことは励みになり、その翌年もさらに翌年もクッションを作りました。ただ決定的なブレイクにはならず、という期間が続きました。
山田:最初からうまくいったわけではなかったのですね。
細尾:社内でも「1人サークル」状態で、「社長のバカ息子が戻ってきて海外で遊んでいる」程度にしか思われていなかったのではないでしょうか(笑)。
このままではまずいと考えていた時、転機となったのは2008年末にパリのルーブル装飾美術館で開催された日仏国交150周年の記念展に出品したことでした。
チームラボのアニメーションや任天堂のゲーム機など、日本が誇れる感性価値のものづくりを集めた展覧会に、僕たちも西陣織の帯を出品させてもらいました。
展覧会は好評で、翌2009年にニューヨークで巡回展となったのですが、終わってから1通のメールが届きました。「展覧会で見た西陣織の帯の技術を使って、テキスタイル開発の依頼をしたい」と。差出人は世界で5本の指に入ると言われる著名な建築家、ピーター・マリノ氏からでした。
山田:すごい展開ですね。
細尾:商売目的での出品ではなかったので意外でしたね。マリノ氏から送られてきた絵は、鉄が溶けたようなコンテンポラリーアートのような柄で、和柄の発想ではまずあり得ないデザインでした。用途は何かというと、「クリスチャン・ディオールが世界各都市で展開する全旗艦店でのインテリアに使いたい」と。
僕たちは和柄で一生懸命勝負しようとしていましたが、求められたのは柄ではなく、西陣織が本来持っている“技術と素材”だったのです。
山田:その気づきが、大きなターニングポイントになったんですね。
細尾:はい。ただすぐに問題を抱えました。先ほど言った生地幅です。継ぎ目が出ないように生地幅を広げないといけません。そのためには新しい織り機を作るしかない。社内からは「着物だけでも大変な時に」とかなりの反対意見が出ました。
それでも何とか説得を続け、1年かけて150cm幅を織れる織り機が完成しました。その1台目でディオールへ納品し、以後は年に1台ずつ織り機を増やして、今は6台の織り機が稼働しています。8年前はベテランの職人3人体制でしたが、20代から30代前半の若い職人が入ってきてくれて、今は8人まで増やせました。
伝統工芸だって、変わらなければ生き残れない
山田:伝統工芸分野でよく聞かれる「職人不足」の悩みから脱却したということでしょうか。
細尾:ありがたいですね。以前は募集をかけてもなかなか集まらなかったのですが、今では1枠に全国から10〜20倍の応募が来るようになりました。しかも、トップクラスの芸術大学やアートスクールを出たような若者が来てくれる。伝統産業をクリエーティブ産業と考えて、熱意を持って働いてくれるんです。
山田:かなり先を行っている印象ですが、当初は社内でも反対されたそうですね。常識を破って新しいことに挑戦する時には「ここまでやってもいいのか?」という迷いは付き物だと思います。もしかしたら業界から怒られたかもしれません。
細尾:怒られましたね(笑)。「こんなのは帯じゃない」という批判は受けました。
山田:そういう時、どうやって歩を進めていくのでしょう。
細尾: 本当にやるべきことを見失わないことが大事だと思っています。僕は「これが帯なのか、帯ではないか」という議論はしたくありません。そうではなく、未来の話をしたいんです。
僕たち伝統工芸を継ぐ者たちの使命は、過去を見つめるノスタルジーから脱却して、次世代にバトンをどうつなぐかを考えて行動することです。
僕にとって大事なのは、織り機を1台でも増やして、1人でも多くの若い職人を雇用して育て、彼らが作ったものが世界に展開されていくことです。それしかないという確信があったので、周りに何を言われてもあまり気にしていませんでした。
山田:「伝統は守るべき」という葛藤はありませんでしたか。
細尾:ダーウィンは「進化論」の中で、生物界で世代を超えて生き残る種は、環境に合わせて変わり続けるものだと唱えています。伝統工芸も同じで、いかに創造力をもってチャレンジして変化していかなければ生き延びられない。そういう意味では、伝統を守り続けるだけで変わらないことの方が、僕は恐ろしくて仕方がないです。
山田:変化の範囲をどこまでも広げているのが細尾さんの挑戦ですよね。先日、(トヨタ自動車の)レクサスのショールームで拝見した展示も素晴らしくて。
細尾:アーティストのスプツニ子!さんとのプロジェクトで、西陣織にバイオテクノロジーを組み合わせたコラボレーションを展示しました。
遺伝子組み換え技術によって、クラゲが持つ蛍光タンパク質の機能を持たせた蚕を作って、その蚕が生むシルクで織った光る西陣織作品です。
ほかにも、クモのDNAを抽出して遺伝子組み換えをして、強度を140%まで高めた西陣織など。話し出すと止まらなくなりますが、最先端のバイオテクノロジーとのコラボレーションも本当に面白いですし、人工知能で織物のストラクチャーを開発する試みや、東京大学との共同研究にも取り組んでいます。
山田:ここまでやってもやっぱり「西陣織」であり続ける。細尾さんは「結局、戻って来る場所が伝統なのだ」とおっしゃっていますね。
細尾:伝統は、強靭なゴムのようなものだと思っています。例えばビルの10階からバンジージャンプをしても落ちない、しっかりと引き戻すパワーがあるんです。
どんどん壊して新しいものを作ろうとしても、簡単には壊れない。あるいは、壊そうとする力さえ飲み込んで進化していく。その懐の深さが伝統であり、僕はやっぱり伝統を愛しているからこそ、壊しにいく。
どれだけ思い切って高いところから飛び降りても、引き戻される。ただ、ちょっとでも伸びたその差が進化につながると思っています。
(後編に続く)
アパレル業界の常識を根底から覆すものづくりに挑戦するブランド「ファクトリエ」。
店舗なし、セールなし、生産工場を公開、価格は工場に決めてもらう——。これまでのアパレル業界のタブーを破って、日本のものづくりを根底から変えようとしている。
ファクトリエはどのように生まれ、そしてどのように日本のアパレル業界を変えてきたのか。つくる人、売る人、買う人の誰もが、「語りたくなる」ようなメイド・イン・ジャパンの新しいものづくりを、一冊の本にまとめました。
失敗を重ねながらも、一歩ずつ、「服」をめぐる「新しい当たり前」をつくってきたファクトリエ。これまでの歩みを知れば、きっとあなたも新しい一歩を踏み出したくなるに違いありません。書籍『ものがたりのあるものづくり』が発売されました。本書の発売を記念して、著者の山田敏夫氏によるトークイベントを開催いたします。ご興味のある方はぜひご参加くださいませ。
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