APUの今村正治副学長

 前回の記事(「APU副学長が解説!こうして出口学長が選ばれた」)では、出口さんがAPU(立命館アジア太平洋大学)の学長に就任するまでの経緯について説明しました。

 そもそも、なぜ「出口さんに学長になってほしい」と思ったのか。

 1つ目の理由はスケールの大きな「改革者」でありビッグな「アマチュア」だったからです。

 APUは2000年の開学から20年近く経ち、そのユニークさや教育システムが評価され、さまざまなメディアにも取材に来ていただけるようになりました。けれど、それは20年前に別府で発した光がようやく世の中に届きはじめただけではないか。星の光と同じで、もう“古い光”かもしれないと思ったりもします。

 今すべきなのは、数年後、数十年後に届く光を発すること。しかし、それが難しくなっているという気がしていました。なぜか。

 みんながAPUを愛しすぎて、居心地のいい場になってしまった。だから、その空気を大きく変えてまで改革や新しいことにチャレンジすることが難しくなってきているのかもしれない。そう感じていたのです。

 さらに、開学当初は国際大学のアマチュアだった私たちも、気がつけば国際教育の「セミプロ」くらいにはなってきました。名だたる国際系大学から「絶対に失敗する」と言われながらも、無我夢中にチャレンジしたど素人集団は、知らず知らずのうちに常識や前例にとらわれ、変わることに躊躇(ちゅうちょ)するようになったと感じることもありました。

 「改革に二の足を踏むセミプロ」にとって、出口さんは非常に魅力的でした。

 還暦で、しかも生命保険という保守的な業界で、常識に縛られずにスケールの大きいことを成し遂げた人。しかも教育界のアマチュアでもある。思い込みもしがらみもありません。

 出口さんの著作にも、「ライフネット生命はアマチュアだけでつくった、日本生命の部下は誰も連れて行かなかった」というエピソードがあります。常識や前例を吹き飛ばし、変革を起こすのはいつも「偉大なる素人」です。その意味で、出口さんはAPUが求める学長像にぴったりだったのです。