2018年3月上旬。学校法人立命館グループの2つの高校の卒業式と、立命館アジア太平洋大学(APU)の卒業式に参列しました。
皆さん、晴れ晴れとした顔をしたり、涙を流したり。APUの卒業式では海外の卒業式のように、みんなで一斉に帽子を投げる姿は、とても素敵なものでしたね。
2018年3月の卒業式の様子。卒業生が一斉に帽子を投げる様子が印象的でした
実を言うと、僕自身は全共闘世代ということもあり、大学の卒業式には参列していません。事務所に卒業証書をもらいにいっただけでした。そんな僕が、これから年に2回(APUは春入学、秋入学を実施しています)の卒業式で学生たちにはなむけの言葉を贈ることになるなんて、ちょっと不思議な感じがしています。
また、2018年1月からスタートしたAPUに関するブリーフィングでは、教育について、さまざまなことを勉強させてもらっています。
知らなかったことをゼロから学ぶのは、何歳になろうと純粋に楽しいものですね。金融関係の法律はたいてい理解していても、「教育基本法」や「学校教育法」「大学設置基準」などは、今までの人生では触れたこともありませんでしたからね。
前回(「僕が立命館アジア太平洋大学の学長に就いたわけ」)は、僕が一体どのような経緯でAPUの学長を務めることになったのかということを話しました。
決して教育に対する高い志を持っていたわけではなく、流れに身を任せて新たなフィールドにチャレンジすることになったという、身も蓋もない話だったかもしれません。
学長就任が発表された時、周りの人の反応はさまざまでした。仲の良い友人は、「また出口が新しいことを始めたのか」と面白がってくれましたが、ほとんどの人は「古希での異業種への転身」ということに驚いたようです。
朝起きて元気だったら、働けばいい
しかし僕は、年齢と仕事を結びつけて考えたことはこれまで一度もありません。
朝起きて元気だったら、働けばいい。いくつになったら新しいチャレンジをしてはいけない、などという決まりはどこにもありません。朝起きて身体がしんどかったら、その時初めて、「辞める」という選択肢を考えればいいだけのことです。年齢フリーで考えるのが世界の常識だと思っています。
60歳、65歳、70歳などといった切りのいい数字に惑わされ、自分に制限を設ける必要は全くありません。実際、世界を見渡せば、日本を除いて定年などという制度は存在しないのですから。
それに僕自身は、「全くの異業種」に転じたという感覚もあまりありませんでした。というのも、ライフネット生命が、長く勤めた日本生命と「生命保険」というつながりがあったのと同様、今回は「ベンチャー」というつながりがあったからです。
APUは、2000年に開学した若い大学です。東京大学が1877年、立命館大学が1900年、同じ県内の大分大学が1949年に設立されたことを考えると、明らかに新しい「ベンチャー大学」と呼んでいいでしょう。
しかも、ただ新しいだけの「ベンチャー大学」ではありません。「教員、学生の半分が外国人」というのは、大学としてもおそらく世界初の試みです。
また、「公用語が英語」という大学はたくさんありますが、英語と日本語の二言語が公用語でほとんどの科目を日本語と英語で授業を行っているのは、日本ではAPUだけです。しかも大分県別府市の山の上を切り拓き、(新キャンパスや新学部ではなく)ゼロから大学をつくったわけです。これだけでも、なかなかのベンチャースピリットを感じませんか。
起業も転職も直観で選べばいい
「ベンチャーつながりがあるのはわかった。でも、覚悟をしていなかったのに引き受けるなんて、無謀過ぎるのでは」と思われるかもしれません。しかし僕は、起業や転職は、そもそも長時間熟慮して周到に準備するものではない、と考えています。
それはなぜか。人間は動物ですから、人生で一番大切な決断は、パートナーとなるボーイフレンドやガールフレンドを選ぶことです。だって、パートナーを選ぶことは、自分の遺伝子と相手の遺伝子が混ざった子孫をつくる結果になるかもしれないわけですから。子育ては仕事より、明らかに「大仕事」ですよね。
そんな大事な恋人を選ぶ時に、「身長、優しさ、職業、経済力、金銭感覚、……」などと必要条件のリストをつくって、上から順にチェックしていったりはしないでしょう。先に一緒に住む家を用意したりもしないでしょう。
なんとなくいいなとか、一緒にいて疲れないなとか、まずはそんな直感で選ぶはず。
その直感が間違えていたら「さようなら」をするし、まあこんなもんだろうと思えれば一生を共にする──。動物として最も重要な決断でさえ、その程度の感覚で決めているのだから、職業の選択などはもっと気楽に決めればいい、というのが僕の持論です。そして、置かれた場所(選んだ職業)で咲けなければ、広い世界に飛び出せばいいだけの話です。
こんなことを言うと叱られてしまうかもしれませんが、僕の気持ちの中では、今回の学長選出は、「ちょっといいなと思っていた人に思いがけず告白された」ような気持ちがあったのです。加えて、あれだけダイバーシティ豊かなメンバーが満場一致で選んでくれたのだから、自分が精一杯やればきっとなにかしらお返しはできるだろう、とも考えました。
大分と立命館のベンチャースピリットが出合った
先ほど「ベンチャー」という言葉が出てきましたが、ここで少し、そもそもAPUがどういう経緯でできた大学なのかをざっと話させてください。
APUはこれまでお話ししてきた通り、大分県別府市の山の上にあるベンチャー大学です。
この「山の上」というのは全く偽りのない表現で、別府の市街地まで出るのにバスで30分、片道(往復ではなく)のバス代は560円もかかります。学生はキャンパス周辺を「天空」、別府の市街地を親しみを込めて「下界」と呼んでいるようです。
こんな変わった大学ですが、設立のキーマンは「関サバ関アジ」や「湯布院」といった「一村一品運動」のブランド戦略で知られる平松守彦前知事。24年にわたって知事を務めた平松さんが、1990年代、さらに大分県を盛り上げるために目論んだのが、大学誘致でした。
APUの始まりは、平松知事が立命館大学に送った、新大学の設立を打診する手紙だったと聞いています。
その手紙にピンと来た当時の坂本副総長(後のAPU初代学長)は知事に連絡を取り、やりとりが始まりました。しかし立命館も、びわこ・くさつキャンパス(BKC)を開いたばかり。経営体力的な問題もあるし、「どこにでもあるような大学をつくっても仕方がない」となかなか踏ん切りがつかずにいた時、あるミーティングで大学側の幹部から、一つのキーワードが飛び出したのです。
それが、「学生の半分が外国人留学生、なんておもしろいですね」という一言でした。学生の半分が留学生。前代未聞で、もちろん実現の当てもありません。それでも、次第にみんなが、このコンセプトにほれ込んでいった。しかも平松知事が「それはいい!」と気に入ってしまった以上は、やるしかない。そのやり取りの中心にいたのが、坂本初代学長です。運命的ですよね。
ただ、立命館としても、どうすれば学生数の半分の留学生を集められるのか、皆目分かりませんでした。
そこで、考えつくかぎりの国に、教員(教鞭を執る人)と職員(事務方)を2人1セットで送り出しました。各国の高校、語学学校、日本大使館といった行政系組織などを回って、ひたすら地道に広報活動に徹したのです。
1990年代終わりのことですから、まだインターネットもさほど普及していません。途上国に行った教職員と1週間連絡が取れずに心配した、という話もあったそうです(無事帰国した時は拍手で迎え入れられたそうです)。
立命館がそんな泥臭い営業活動を行うのと並行して、平松知事は議会を通し、別府市は土地の無償譲渡と造成費用40億円を負担し、大分県は建設費の150億円を負担するなど、APUは土地を含めて総額およそ200億円の補助金を確保します。
いわば、大分県と立命館大学、両者のベンチャースピリットが出合い、生まれたのがAPUというわけです。
しかも、現在になってもまだ、そのベンチャースピリットは衰えていません。その証拠に開学17年目、4代目にして「日本で初めて学長を国際公募で選ぶ」というチャレンジを行ったわけですから。3代目の学長までは、全員が立命館の高名な先生方。つまり「学校法人立命館による人事」だったわけです。
それを「そういうもの」で終わらせず、創立20周年が見えてきたタイミングで、自分たちが主導して学長を決めようとAPUは考えたのでしょう。もしくは、ダイバーシティにあふれた大学ですから、「そもそも学長は学内から選ばなくてもいいのでは」という意見があがったのかもしれません。
いずれにしても、こうした新しいチャレンジに前向きなマインドは、きわめてベンチャー的ですよね。
APUの経済効果は?
九州の地方の街に、突然3000人もの外国人(もちろん開学1年目からいきなり3000人が入学したわけではありませんが)がやってくる。街の人たちにアレルギーはなかったのか、と問われることもあります。
しかしありがたいことに、APUは比較的スムーズに地元の皆さんに受け入れていただいたようです。
別府はもともと、別府湾に面する港町。大阪と結んだ観光航路を利用して大きく発展しました。「よそもの」が訪れるのが当たり前で、「よそもの」が街を元気にすることを知っている。オープンマインドにあふれている街だったから、自然に馴染めたのかもしれません。
例えば今や別府市内で多くのAPUの学生がアルバイトをしています。
実際、昨年のクリスマスに引越しを済ませて(クリスマスは業者が空いているのです)、近くの定食屋に食事に出かけたのですが、そこの店主に「あたらしい学長さんですか。あそこでお茶を運んでいる子が学生ですよ」と早速、声をかけていただきましたよ。
APUは、別府市民に受け入れていただいていると同時に、地元経済にもかなり貢献していると自負しています。APUにはおよそ6000人の学生が在籍していますが、別府市の人口は12万弱。
つまりAPUの学生は、別府市の総人口の5%を占めているわけです。さらに学生は18歳~22歳がほとんどですが、高齢化が進んでいる別府市のこの世代の人口は1万人前後。別府市の18歳~22歳の2人に1人はAPUの学生、というわけです。
この学生たちが、街でアルバイトをしたり、生活物資を購入したり、休日に遊んでお金を落としたりする。
先ほど200億円の建設補助金を県と市から投資していただいたとお伝えしましたが、APUの経済波及効果は県の試算で、年間215億円。そう、1年で「元が取れる」のです。
なぜなら、国内学生も地元九州の新入生はおよそ3分の1に過ぎず、残り3分の2は首都圏や近畿圏から来ているから。つまり、APUの学生の8割以上は、外部から九州にやってくるのです。これだけリターンの高い「地域起こし」は他にはないでしょう。面白い場所を創れば、世界から全国から人は集まってくるのです。
ローカルとグローバル。この相反するふたつが交差する場所としても、APUはユニークなのかもしれません。
(構成/田中裕子)
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