米テキサス州のソリッド・コンセプツ社が、3Dプリンターで製造した金属製の銃(市販品の拳銃のコピー)。実弾を発射できる。(写真:Solid Concepts/Shutterstock/アフロ)
3Dプリンティングで世界貿易40%減?
「3Dプリンティングの成長により、2040年までに世界の貿易の40%がなくなる可能性がある」── オランダに本社を置く世界的総合金融機関INGが今年9月に発信した衝撃的なレポートが話題となっている。
INGの国際貿易分析責任者のラオル・リーリング氏の分析によると、3Dプリンティング技術への投資が現状のペースで伸びれば、2060年までに世界の製造業が生み出すものの50%が3Dプリンターで作ることができるようになる。この場合、2060年までに世界の貿易の25%が消滅するとされる。現状より投資が拡大し5年ごとに2倍のペースになった場合は、2040年までに40%の貿易がなくなる試算だ。
これまで3Dプリンティングの主な用途は、航空関連や自動車分野における複雑な形状の特殊部材やファッション素材が有望とされており、材料はチタンやコバルトなどの金属やABSなどの樹脂がメインとなって開発が進んできた。近年は、これら無機素材でのプリンティングのみならず、有機化合物の活用も進んでおり、医療分野など新たな分野での実用化も進みつつある。
3Dプリンティングが速度・精度・コストの面で進歩すれば、消費者が自宅やその近くで必要なときに必要な分だけモノを「印刷」することになる。どこかの国の大規模な工場で作ったものを輸入する必要がなくなり、世界の貿易は急減する。
もう数年もすれば、INGが発信した将来の見通しに対して、消費者が肌感覚で納得できる日が来るだろう。
3Dプリンターの登場により誰でも「ものづくり」が可能になった。樹脂製や金属製の部品や製品を手軽につくることができる。(画像:PIXTA)
安全保障貿易管理が機能しなければ日本も銃社会になり得る
世界の製造業を根本から変える可能性を持つ3Dプリンティングだが、通商の視点で最も懸念されていることは、実は「貿易が減る」ことではない。
深刻な懸念の一つ目は「安全保障貿易管理ができなくなる」ことだ。
今年10月1日には米西部のラスベガスで死者58人、負傷者500人を超す史上最悪の銃乱射事件が起きた。これを受け、警察庁の坂口正芳長官は同週の記者会見で、「税関、海上保安庁など国内関係機関と連携した水際対策と、国内外における銃器情報の収集をさらに徹底する」と述べ、銃器対策を強化する考えを示した。
近年、銃器を用いたテロ事件が世界中で多発しているなか、海外では日本の銃規制の厳しさを賞賛する報道が増えているようだ。ラスベガスの事件の後の英BBCの報道では、2014年の銃による死亡者数が米国で3万3599人だったのに対し日本ではわずか6人だったことや、日本の江戸時代における治安維持を目的とした銃器の買取制度が世界初のものだったことなどを印象的に伝えている。
3Dプリンティングは、これまで日本が築き上げてきたこの厳格な銃規制社会に対する脅威ともなり得る。
通常兵器の輸出管理に関する国際的なルールとしては、「ワッセナー・アレンジメント(Wassenaar Arrangement)」が基本となる。かつて戦略物資の共産圏諸国への移転防止を目的として機能していた「ココム(COCOM:Coordinating Committee for Multilateral Export Controls)」が役割を終え、現代に合わせたグローバルルールとなったものだ。
当然、このルールでは銃を含む軍需品の輸出入に関する厳密な取り決めがあるのだが、3Dプリンティングでの銃の「印刷」は、「輸出入」ではないためこのルールで取り締まることができない。既に3Dプリンティングによる銃の「印刷」は(品質はまだ低いとはいえ)可能となっており、世界中でそれを示す事件や映像が多く確認できる。
それなら銃そのものの貿易ではなく、ワッセナー・アレンジメントで規制されている軍事利用可能な「先端材料」の輸出入を押さえれば 銃の3Dプリンティングを防げるのではという検討もされている。だが、実のところ、3Dプリンティングでの銃の「印刷」には、一般的に3Dプリンターで使われる金属材料が用いられることが多く、これも容易に取り締まることができない。
法的には、当局の許可なく「銃を製造すること」自体が大半の国で禁止されている。これは3Dプリンターの銃の製造にも適用されることから、銃を印刷したことを「見つけることができれば」摘発することは可能だ。
だが、これが困難なのだ。これまで違法な銃器の製造は、規模の大小や登記の有無はともかく「工場」で行われていたことから、銃の製造に必要なプレス加工機や研削機器などの輸入経路や納品実績から当局が捜査で辿ることができた。ところが、3Dプリンターひとつで銃が「印刷」できてしまう世界では、違法な対象物の製造を目的とした貿易や調達の経緯が特定できない。
そこでいま国際的に議論を深める必要性が叫ばれているのが、銃の設計図を含む「データファイル」の扱いだ。これについてはどの国もまだ明確な規制がない。
海外から最新の銃の設計データを入手して自宅の3Dプリンターで印刷する場合、そこにはモノの輸出入が発生しないことから、これは「物品貿易」ではなく、設計サービスという「サービス貿易」として扱われる可能性が高い。
世界貿易機関(WTO)が定めているサービス貿易の最も基本的な形態「モード1(国境を越えるサービス取引)」では「データの自由な移転」を保証しており、これは3Dプリンティングの設計図にも適用される。但し、これには「機密情報を含むデータは例外とする」などの例外規定があり、銃器の3Dプリンティングの設計図がこれに該当する可能性も高い。これをどう摘発するかが今後のグローバル通商のチャレンジのひとつだ。
オンライン上でデータファイルの受け渡しが行われた際の摘発は容易ではない。音楽や映画の海賊版の取り締まりが難しいのと同じ構図だ。
現実的な規制の方向性は、許可されていない者がアクセス可能なオンライン上に銃の設計図を含むデータがアップロードされた場合、または類似のデータのシェアが行われた場合に取り締まる方法とされる。
だが、3Dプリンティングに使われる3D-CADや3D-CGのファイルの種類や拡張子には、メジャーなものからほとんど浸透していないマイナーなものまで多数あり、各国の当局がいかにオンラインでの監視の網を張り巡らせても完全に検知することは難しい。そもそも「設計のデータ」といっても「仕様書」「製造マニュアル」「部品表」「ダイアグラム」「デザイン」などのどれを取り締まるかについての取り決めもまだできていないのが現状だ。
貿易統計がとれなければ「America First」も叫べない
3Dプリンティングによる脅威のうち、市民や社会が最も懸念するのが「安全保障貿易管理ができなくなる」ことによる銃器の氾濫であることを認識しつつも、通商の専門家たちにはもうひとつの懸念がある。
それは、「貿易統計がとれなくなる」ことだ。
経済実態としては、冒頭に挙げたINGレポートが分析しているような「貿易の減少」となるのだが、産業連関の実態に沿った貿易統計がとれなくなることのインパクトは大きい。
捕捉可能なビジネス取引ではなく、グローバルなオンライン上で設計データの共有を個人間で自由に行った結果としての、3Dプリンターでの「印刷」による需要の充足。これが増えれば、国家間には「物品貿易収支」も「サービス貿易収支」も計上されないまま、ただ汎用的な樹脂や金属といった3Dプリンター消耗品が、設計データの移動とは無関係に量産、貿易され続ける。
こうなると、国内産業保護を目的とした輸入超過のセーフガード措置や、他国製品の不当廉売に対するアンチダンピング課税など、現在政府が持っているほとんどの貿易関連ツールが機能しなくなってしまうのだ。
TPP(環太平洋経済連携協定)や日EU経済連携協定(EPA)などの自由貿易交渉はすべて、貿易統計に基づく輸出入の実態から「センシティビティ」(慎重な検討が必要な重要品目)と呼ばれるものの保護必要性を分析して攻守が成り立っている。これも、3Dプリンティングの世界では機能しない考え方だろう。
米トランプ大統領が声を荒げる「中国や日本からの貿易赤字が悪い」という主張も、貿易統計が産業や消費の実態に即したものだから意味があるのだ。
メカ・素材・情報通信の専門家の「通商」参画を歓迎
一言で言えば、3Dプリンティングが本格的に普及した世界では、現在のWTOルールのほとんどが機能しないのだ。
3Dプリンティングは、日本の平和な社会の礎となってきた銃規制の実効性を揺るがし、世界平和を目的としてつくられたWTOルールをも根底から覆す。──こんなホラーストーリーが近い将来、少なくとも今日より深刻に議論されることは間違いないだろう。
自動車の無人運転に対する規制の必要性と同じく、イノベーションとルールは同時に語られる。
今年に入り、NASA(米航空宇宙局)が宇宙食の高度化の模索の一環として、ピザを3Dプリンターで作るスタートアップ企業に投資したことが報道された。個人の身体的特徴にぴったり合った形状にすることが望ましい義手や義足は3Dプリンティングに適した用途のひとつだ。これほどまでに目に見え、手に触れられる形で世界を変える技術は他に類を見ない。
今後、「通商のルールづくりが追いついていないから」という理由により、3Dプリンティングの無限の可能性にブレーキがかかることは避けねばならない。
メカトロニクス、素材、情報通信の多くの専門家の、「通商」畑への参画をお待ちする。
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