組織がイノベーションを起こせなくなる一因は「予測」とそれに基づいて「完璧な製品」を作ろうとするようになるから――『
リーン・スタートアップ』の著者、エリック・リース氏はこう指摘する。時代の変化がゆるやかな時代は、3年先、5年先といった単位で予測が当たった。ところが動きが早い今、数年先の予測はほとんど当たらない。さらには、以前のようにその予測だけに頼って開発を進めたら、売れない製品ができるだけだ。リース氏は、様々な組織でリーン・スタートアップを導入した経験を基に、不確実な世界でもずっと成長し続けるためのマネジメント法「スタートアップ・ウェイ」をまとめた。その書籍『
スタートアップ・ウェイ』から一部を抜粋して掲載する。
エリック・リース
アントレプレナーであり、ニューヨークタイムズ紙のベストセラーリストに登場した『リーン・スタートアップ』(日経BP社)の著者でもある。『リーン・スタートアップ』は100万部以上が売れたミリオンセラーであり、30を超える言語で翻訳版が出版されている。リーン・スタートアップ手法はビジネスの分野で大きなムーブメントとなり、世界中の企業や個人が実践している。
数年前、私はマネジメント分野の古典的名著であるアルフレッド・スローンの『GMとともに』(ダイヤモンド社)を読んだ。この本では、1921年に現金がほとんどなくなった事件が紹介されている。別に、大惨事があったわけでも横領スキャンダルがあったわけでもない。単純に部品を買いすぎた、世の中の景気が悪くなりつつあり1920年から1921年の需要が低迷すると気づかず、在庫を数億ドル分も抱えすぎたのだ(1920年代のお金で、である)。
この危機をなんとかしのいだスローンは、数年をかけ、このような問題の再発を防止できるマネジメント理論を探した。その結果、完成したのが、「事業部の協調管理を実現する鍵」と彼が呼ぶものである。
このシステムを支えるのは、「理想的」な年であれば何台売れるかという事業部ごとの予測だ。この数字にさまざまな社内目標と外部のマクロ経済要因を組み合わせ、事業部ごとの販売目標を本社が設定する。この目標を上回った部門の幹部は昇進するし、上回れなかった部門の幹部は昇進できない。このような形の仕組みがあれば、1920年のような誤算や資源の無駄使いは起きない。
アルフレッド・スローンが提唱した組織構造は、20世紀の総括マネジメントの基礎となった。これなしで、たくさんの部門でたくさんの製品を作り、たくさんの国に展開する企業とそのグローバルサプライチェーンを経営することはできない。この100年間でもトップクラスの画期的なアイデアで、いまも広く使われている。
ルールは単純だ。予測を上回れば株価が上がり自分は昇進するし、下回ればいろいろと心配しなければならなくなるというわけだ。
だが、この話を聞いたとき、私の頭をよぎったのは……
昔々あるところで……
予測が行われ……
そのとおりになったのか?
だ。
不正確な根拠を立てるのには理由がある
まだある。「公平な昇進判断の基準にできるほど予測は正確だというのか?」とも思った。アントレプレナーとして、そんな経験はしたことがなかったからだ。
私が仕事をしたり見聞きしたりするシリコンバレーのスタートアップは、いずれも、過去の歴史がないから予測ができない状態だった。製品も定かでなければ市場も定かでない。どころか、基になる技術の機能さえ定かでないこともある。これで精度のいい予測などできるはずがない。
それでも、スタートアップも予測を立てる。不正確な予測を。
私も予測をしていた。理由は明快。事業予測がなければ資金が調達できないからだ。表計算ソフトの苦痛に耐え、自分はがまん強いと投資家に証明するのも、歌舞伎の様式美のようなものなのだろう。あるアイデアがもしかしたらこういう成果につながるかもしれないと、みせかけでもいいから示したいのかもしれない。そんな保証はまったくないのだが。
であるにもかかわらず、その予測を信じる投資家がいる。それどころか、アルフレッド・スローンと同じように、予測に基づいて結果責任を問う投資家もいる。事業計画の数字が実現できなかったら、それはやり方がまずかった証拠だと考えるのだ。アントレプレナーとしては、なんとも困った対応だ。なぜなら、鉛筆をなめて作った数字で根拠などないとわかっているはずなのだから。
最近は、従来型の企業でイノベーションを実現しようとしているマネージャーから話を聞くことが増えている。こういう社内イノベーターからは、予測を基に結果責任を問われるという話ばかりが聞こえてくる。そのあたりをきちんと理解しているはずの(そう私が思う)幹部でさえ予測を大事にするらしい。企画を立ち上げるときの話は「夢の計画」であり、現実の予測として使うには楽観的にすぎるのが普通だ。それでも、マネージャーにはよって立つものが必要だ。ほかにやり方がなければ、予測にすがるしかない。根拠のない予測であっても、だ。
そろそろ、なにが問題なのかお気づきのことだろう。時代も大きく違えば状況も大きく違うなかで作られた古いシステムがいまだに使われているのだ。適用すること自体がまちがっている状況で。予測どおりにならない原因がやり方にあることもあるだろう。だが、予測が予測でなく、単なる夢想であったからということもあるのだ。では、どうすれば、その両者を見分けられるのだろうか。
失敗という選択肢はない vs 失敗は朝飯前
シックスシグマはご存じだろう。マネジメントで企業が大きく変わった例としてよく知られている。ほぼ完璧な製品を開発・製造するプロセスであり、GEには、1995年、ジャック・ウェルチCEOによって導入された。シグマとは、あるプロセスが完璧からどのくらいずれているのかを示す統計量である。シックスシグマを実現するためには、欠陥率を100万回中3.4回以下、つまり、0.0000034%以下としなければならない。ウェルチCEOは、「偉大な企業から世界最高としか言いようのない企業にGEを変えるのは品質である」と宣言し、5年以内に全社でシックスシグマを実現することを目標とした。
私が教えに行ったGEの幹部研修では、シックスシグマを信じる人からも疑う人からも、たくさんの質問を投げかけられた。GEでは、今後、ファストワークスというプログラムが主流になるのか。いままでやってきたシックスシグマの研修は時代遅れなのか。ファストワークスとシックスシグマを併用するのであれば、どういうときにどちらを使えばいいのか。シックスシグマにはブラックベルトなどの資格があるが、リーン・スタートアップの知識についても同じようなレベルや認証制度があるのか、などだ。
GEの産業部門に所属するシックスシグマのブラックベルトのひとりと会ったときには――ちなみに私は疑いの目で見られていた――私は、彼の机に置かれたマグカップの文言が気になって仕方がなかった。「失敗という選択肢はない」と書かれていたのだ。そんなマグカップ、スタートアップの人間は絶対に買わない、そんなばかなことはしないぞと思ってしまった。スタートアップというのは、想定外の事態が起こりまくりで失敗を避けるなどできるはずがないからだ。
自分が知るなかでも優秀で成功しているアントレプレナーなら、どういうマグカップを買うだろうか。しばらく考えた結果、「失敗なんぞ朝飯前だ」だろうという結論に達した。
ふたつのスローガンの違いは、なぜ、スタートアップが従来型マネジメント手法の活用に苦労するのかやその逆がどうして起きるのか、さらには、両者がどうつながっているのかを考える出発点になる。
かつては、高品質の製品を予定したスケジュールと予算に従い、大量に作ることが時代の要請だった。どうすればあらゆる部分に品質を作り込めるのかを理解するためには、偏差という統計的科学を身につけ、それを実用に供するツールや手法、研修プログラムなどを準備する必要があった。標準化、大量生産、リーン生産方式、シックスシグマは、そういう苦労から得られた果実なのだ。
このようなやり方が前提としているのは、準備、計画、執行をしっかりすれば失敗は避けられるという考え方だ。だが、マネジメントポートフォリオのスタートアップ部分ではこの仮定が成立しない。不確実性が高すぎて予測どおりの成果を出せなかったプロジェクトがあったとして、そのリーダーに結果責任を負わせていいのだろうか。
(翻訳:井口耕二)
6年前に発行され、世界で100万部の大ベストセラーとなった『リーン・スタートアップ』。本書が登場してから、シリコンバレーの製品開発は大きく変わり、世界中に拡大していった。その手法は、作り手側の思い込みで長期的な計画を立て、その結果まったく売れないという壮大な“ムダ”を避けるというものだ。
リーン・スタートアップに注目したのは、スタートアップやベンチャーだけではない。世界で30万人の従業員を抱えるGEが全面的に導入したほか、トヨタもコネクティッドカー事業で導入を図る。GEやトヨタの経営陣が抱いていたのは、古くさい企業にならず、イノベーションを生み続ける先進企業になりたいという願いだった。
もっとも、歴史や成功体験がある組織が、いきなりリーン・スタートアップを導入するのは想像を絶する難しさがある。本書はGE、トヨタなどの大企業のほか、米国政府のプロジェクト、NPO、シリコンバレーのスタートアップなど業種も規模もさまざまなチームや組織での経験を通し、エリック・リース氏がこれまでの組織マネジメントとリーン・スタートアップのよいところを採用してつくりあげた革新メソッド「スタートアップ・ウェイ」を解説している。
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