鳥越と、不二製油の清水洋史社長が出会ったのは2010年頃のこと(当時、清水氏は常務)。鳥越が仕掛けた出会いだった。

 「弊社の顧問が清水さんと面識があり『今度、久々にお目にかかる機会をいただいた』という話を聞いたんです。大豆を扱う大企業なので、話せば何か新しい可能性が切り開けるかも知れないと思い、『私もお目にかかってみたいです!』と、同行させてくれるようお願いしました」

 有り体に言えば、鳥越が「会ってもらう側」だった。おとうふは、一般的に賞味期限が短く、しかも安い。だから遠くに発送するメリットが少なく、全国区のメーカーが生まれにくい市場だった。相模屋も、2016年現在でこそ、業界では日本最大のメーカーになったが、10年さかのぼれば、売り上げ40億円規模の、群馬を地盤にした中堅おとうふメーカーだった。一方、不二製油は売り上げ約2700億円の東証一部上場企業で、13カ国でビジネスを展開する世界的企業だ。

 だが、鳥越はこの機会を活かし切った。これをきっかけに、付き合いが始まったのだ。そもそも相模屋と不二製油は、何の取引もなく、企業の規模から考えても不二製油にメリットはあまりなさそうだ。では、鳥越は何を話したのか?

おとうふ屋さんの廃業を止めるには?

 「当時、真剣に考えていた構想をお話ししたんです。街のおとうふ屋さんは、朝早くて力仕事が多い重労働です。だから、なかなか後継者がおらず、廃業してしまう店が後を絶ちません。でも、街の牛乳屋さんはビジネスとして成り立っています。その差は、牛乳の場合、商品をメーカーから仕入れますが、おとうふ屋さんは、つくるところから自分の仕事だからです。勢い、労働時間が長くなり、販売に専念できなくなります」

 鳥越は過去を振り返る時、よく「おとうふの業界は構造的に立ちゆかなくなっている」と話す。絹や木綿を大量生産するメーカーは、1パック50円、といった安値が定着し、設備の更新もままならないほど利益が出にくい体質になっていた。一方、街のおとうふ屋さんは、少々高価でもこだわりがある、といった立ち位置の商品を売っていたが、こちらは重労働だ。

 そんな中、鳥越は自社の年商以上の資金を投じて、世界で初めて、おとうふを全自動で生産し、パッキングするラインをつくっていた。

 「そこで当社が、街のおとうふ屋さんの味そのままのおとうふを工場でつくって、それを納めることはできないか、と思ったんです」

 大胆と言えばあまりに大胆な思いと構想は、清水氏の記憶に残った。清水氏は会議で「こんなおとうふ屋さんがいる」と話し、さらには鳥越に電話をかけ「何時まで東京駅の近所で時間があいたんだけど、話さない?」と誘ってくれるほどの間柄になったのだ。

 ちなみに鳥越の、街のおとうふ屋さんに関する試みはどうなったのか?